「ワーク」の正しい使い方

デジタルトランスフォーメーションの時代、日進月歩で進化するデジタル技術の活用でこれまでのビジネスモデルを大胆に破壊し作り直すことが成功する企業には求められていて、そうした取り組みはいやおうなしにそこで働く人々の生活や雇用に影響を及ぼす。今の第4次産業革命に先立ついずれの革命期にも失われた職があり、新たに生まれた職種があった。

2013年にオックスフォード大学の研究者たちがはじき出した米国の47%の職が自動化される可能性があると言うもっともらしい数字が独り歩きして、今の「AIに奪われる職」議論が燃え上がっているらしい。自動化の黙示録 automation apocalypse のようなキャッチーな見出しや Automation is blind to the color of your collar.「オートメーションは(ブルーだろうがホワイトだろうが)カラーの色(カラー)を見分けられない」といった名言が生まれた。(ちなみにこの二つのカラーは発音が異なる。)

しかし未来への楽観論も多い。自動化されるのは職 job ではなくその職を構成する様々なタスクのうちの定型的 routine な部分だけなのでつまらない mundane 作業に時間を割かなくて良くなるというのは説得力のある主張だ。ケインズは孫の世代にはテクノロジーのおかげで1週間15時間労働の時代が来ると予言していたそうだが、確かにITはそもそも人間の生産性を上げるはずのもので、逆にそのおかげの常時接続で1週間どころか1日に15時間も仕事に縛られる現状には軌道修正が必要だ。

ただし自動化によって浮いた時間で付加価値を生み出せなくては意味がないので人事HRの世界では今より高度なスキルを身につけてAIによる荒波を乗り切ってもらおうという reskilling が新たなキーワードになっている。そんなにうまく行くかしらWill it work?と言う懐疑論は根強いと思う。でも今は We’ll make it work!「うまく行かせてみせる」という覚悟が問われているように思う。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年11月号掲載)

「ワークする」とワークの未来

 最近立て続けに日本語で「ワークする」と言うのが使われているのに遭遇した。まず「このストラテジはボラの高いマーケットでもワークするのか」と言うはたして日本語かどうかも怪しい証券マンの発言。Does this strategy work in a highly volatile market? と訳しやすいのはありがたいが、日本人に十分伝わるのかといらない心配をしていたら、本屋で「ワークする〇〇戦略」という書名を目にして、どうやら一部では市民権を得ているらしいと納得した。唯一気になるのは「想定通りに機能する」とか「結果を出す」「うまくいく」と言う日本語では駄目だったのかしらという点だ。

 今年に入って増えたと感じる会議や講演のテーマが Future of Work だ。日本の働き方改革は減少する労働人口を現在労働市場に出ていない潜在労働力でどう補おうかという話が中心のようだが、ILOやコンサルタント会社、海外メディアがもっぱら心配しているのはAIやロボット、RPA=デジタル・レイバーにより人間の仕事が奪われてしまうと言う未来だ。

 代替されやすい仕事トップ20なんていうリストの中にはたまに通訳が入っていたりする。確かに機械に辞書を覚えさせるのではなく、膨大な量の翻訳例を覚えさせてそこから正解である確率の最も高い解を見出させるというマシン・ラーニングをベースとする Google 翻訳のここ数年の精度向上は目覚ましい。私も自分が読めない仏語や独語の資料をあっという間に英語に翻訳してもらって、たいそう重宝している。

 でも、日本語が絡む通訳はしばらくは大丈夫だろうと思う。と言うのも、そもそも文法的に正しい日本語を話せる日本人が少ないことと、文法からの逸脱パターンが人それぞれで一般化できないことを日々痛感しているからだ。ちなみにさっきの証券マン氏の発言を Google さんは Does this strategy work even in the high market of Bora? と英訳してくれた。惜しいっちゃ惜しいんだが、これではまだ通訳の現場では使えない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年10月号掲載)

結婚のアップダウン

 一仕事終えて次の現場に行くまでに少し時間があったので何気なく入った喫茶店で流れていたのはダイアナ・ロスの Upside Down、1980年リリースのディスコミュージックだ。ディスコ世代には何とも懐かしい。題名の文字通りの意味は「上下逆さま」だが日本語でも「上を下への大騒ぎ」と言うように、訳の分からない混乱状態も指す。

 句動詞 phrasal verb の常連でもある up と down は break up が名詞化して breakup 破局となり、break down も同様 breakdown で衰弱、内訳。がっかりさせる let(人)down も letdown で期待はずれ、意気消沈という名詞になる。メモする、書き留める時に使う put down には人を批判する、こき下ろすと言う意味もある。ブラックジャック由来の double down は駄目を押す。Trump doubles down on his put-down.という見出しをどこかで見た。お得意の放言を反省どころか擁護して火に油を注ぐいつものパターンが目に浮かぶ。

 意外な芸能人同士の結婚でよく言われる格差婚。女性の方が地位も収入も安定しているケースが多いようだが、英語でも特に高学歴の女性について She’s marrying down.と言う事はあっても男性が marry down したとはめったに聞かない。言いたくても穏健な表現に言い換える water down、あるいはつまるところ愛さえあれば It all boils down to love.といったあたりに着地しているのかもしれない。逆に marry up 玉の輿は男女両方にあるようだ。

 アップとダウンは和製英語でも大活躍でその使われ方は秀逸だ。本来名詞の前もしくは動詞の後に来るべきなのだが、イメージ、コスト、プライス、ペース、レベルと言った名詞の後に置かれるとあたかも動詞のように上下の動きを表現する。逆に英語にしようとすると動詞選びがなんとも面倒くさいと思わせるほどだ。でも残念なことに英語圏の人には通じない。外来語を受け入れてはアレンジしてしまう寛容な日本語の世界でのみ成立するマリアージュだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年9月号掲載)

初めましてか否か

ン十年選手のベテラン会議通訳者でも時にレセプションなどのアテンド業務に呼ばれることがある。若くてきれいな通訳者がいっぱいいるのだから、華やかな場にはそうした人選をすれば良いのにと思うのだが、ありがたいことに百戦錬磨の安心感を求める顧客も多いのだ。

数百人の顧客やビジネス・パートナーを招待する恒例のレセプションのために毎年来日するあるCEOには悩みがあった。彼の名刺を持って控える女性と遠くからでも居場所が分かるように赤い風船をもってついてくる女性、さらには必要な時に割って入る通訳者、時には大切な顧客を彼に紹介しようとする営業担当者など、小さな大名行列状態で練り歩く自分のもとに、ひっきりなしに名刺交換に訪れる参加者と、初対面なのかそうでないのかが分からないことだ。

英語では初対面か二度目以降かであいさつが異なる。前にも会っている人に Nice to meet you. 初めましては失礼だし、逆に初対面の人に Nice to see you. と言ってしまったら自分のことを調べてでもいたのかと勘繰られそうだしどうしよう、と言うので気にしなくても良いとなだめるのだが納得しない。相手が言ってくれるのを待ったら?と提案したら reserved もったいぶった感じになるのは嫌だ、と何ともネアカのアメリカ人らしく面倒くさくも可愛らしいことを言う。じゃあ、どちらか不安な時は How are you? で行きましょう、要通訳なら日本語で何とかするから大丈夫と言いくるめて、その日私は「お世話になっております」を連発した。だって、初対面だろうが何だろうがビジネス上何らかの取引があるのは間違いない。

そうこうしているうちに明らかに昔からよく知っているパートナーが上機嫌で歩み寄ってきた。CEOも両手を広げて友人とのあいさつモードに入ったところ相手が先に喜色満面 Nice to meet you!

なるほど、日本人にとってはどちらでも構わないのだね、と妙に得心して彼は帰国の途に就いた。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年7月号掲載)

私の七つ道具

誰にでも七つ道具のようなものがあると思うが通訳者にもいくつか定番がある。まず同通に欠かせないイヤフォン。Bang & Olufsen の高級品を愛用する通訳者もいるが、音楽を聴くわけではないし、それよりカナル型 in-ears が苦手で交代の時にコードが絡まってもたつくのが嫌なので私は専らダブル巻取りの耳掛けタイプだ。コードに負荷がかかるので寿命は短いが消耗品 expendables だと割り切ることにしている。

パートナーとの交代のタイミングが大切なのでタイマーも必須だ。サイレントモードがあってカウントダウンとカウントアップ両方できて、文字が大きく見易いのが良い。これは数日間の出張の時にも役に立つ。初日の夜、風呂に湯を張る時にカウントアップで時間を計り、翌日からは音が出るようにしてカウントダウンする。丁度の湯量になるまでバスルームを何度も覗きに行かなくても良いというのが小さな幸せなのだ。

小型のスイスアーミーナイフで使用頻度が高いのが栓抜きと一体になったマイナスドライバー。資料のホチキス止めを外したい時に重宝する。小型の双眼鏡は投影スクリーンが通訳ブースから遠い時や資料が手元にない時の頼もしい味方。倍率が7倍もあると画面が一覧できずレーザーポインターを追っていると乗り物酔いのように気持ちが悪くなるので昔は3倍でプラスチック製の安いオペラグラスを便利に使っていたが、4倍でお洒落かつコンパクトなのを見つけた時は小躍りしたものだ。

通訳者は必ず辞書を持ち歩く。電子辞書が一般的になって重たい紙の辞書を何冊もカバンに入れて歩かなくて済むようになったのは福音だった。ところが最近通訳学校に電子辞書すら持参しない生徒がいる。調べる時はスマホだ。これも時代かと思うが実はプロにはNG。セキュリティが厳しくカメラや通信機能付きのデバイスを持ち込めない現場がある。さらに恐ろしいことに特定の事業者の携帯しかつながらない現場さえあるからだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年7月号掲載)