医療政策に関するセミナーでその道のカリスマ的権威が冒頭の挨拶に立った。来賓の挨拶と言えば短い原稿が出て、ほぼその通り読んで下さるのが常だが、そこはカリスマ、一筋縄ではいかない。蕩々と持論をぶち上げ5分の予定を大幅に超過し、主催者が遠慮がちに「先生、そろそろ・・・」と割って入るまでほぼ20分間エネルギッシュに語り続け、終わると聴衆から喝采を浴びた。実に幅広い講話の中ではこんなこともおっしゃった。「生活習慣病の治療に医者や薬が必要なのは甘い生活から抜け出すのが難しいからだ。」
「甘い生活」と言えば1960年フェデリコ・フェリーニ監督の何とも救いのない映画のタイトルで当時の欧州では流行語にもなった。The Sweet Life という英題もあるのに、原題が一般名詞化した la dolce vita や、英語と折衷の the dolce vita がセレブっぽさを出すのに使われたりする。
このように出自が明らかなのは助かる。「甘い」は通訳者が英訳に困る言葉の一つだからだ。「酸いも甘いも噛み分ける」 ”can tell the bitter from the sweet” のように味覚の甘さをそのまま使える例は少数派。「脇が甘い!」を armpit が sweet だと直訳できると思う人はいないはずだ。 ”Don’t lower your guard / defense!” など、状況に合わせた表現を選ばなくてはならない。「甘く見ないでよ」は ”Don’t underestimate me!” あたりだろう。
本来の意味から派生して新しい用法が生まれていくことを意味拡張 semantic expansion と呼び、文化を背景に結構好き勝手な方向に発展するので sweet と「甘い」の距離はどんどん離れていく。娘に甘過ぎる父親も indulgent/permissive であって sweet ではない。と言うのも ”He’s so sweet” というのはとてつもなく親切だったり、場合によってはイケメンだったりする時の最上級の褒め言葉だからだ。
言われてみたい? ”You wish!” 「甘い!」
(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年2月号掲載)