2010年フランスの旅 -7-

ちょうど1時間遅れでドル・ドゥ・ブルターニュに到着すると「モン・サン・ミッシェルに行く人は?」と誘導する声がする。小さな駅舎を出ると目の前に大型バスが止まっていた。新しくてきれいだ。これならレンヌから1時間以上乗っても平気かもしれない。乗客は十数人、イタリア語、韓国語、中国語・・・、色々な言葉が車内のあちこちから聞こえてくる。

何気なく左側の座席に座ったのだが、出発してから10分ほどたった頃、左手に広がる田園風景の向こうに遠く、しかりくっきりと浮かび上がる異質なものの存在感に目を奪われた。モン・サン・ミッシェルだ! 思わず窓にかじりつくようにして見入ってしまった。その後も時折見えつ隠れつする目的地に向けてのバスの旅は約30分。ラスト・ストレッチでは正面にどんどんと近づいてくる。そして周囲600メートルの岩山の麓にバスは到着した。


(絶対にクリック!拡大して見てください)

年間3百50万人が訪れるという世界遺産は12世紀にもわたる建造・破壊・修復の歴史が作り出した石の要塞だ。8世紀の初め、大天使ミカエル(=サン・ミッシェル)のお告げを受けたオーベール司教がその建築を始め、以来修道院、城塞、牢獄と用途を変えながら、引き潮の時にしか渡ることの出来ない神秘の島であり続けたが、1879年、とうとう地続きの道路が作られて、いつでも渡れるようになってしまった。


(お告げをなかなか信じないオーベール司教の頭に穴を空ける大天使ミカエルのレリーフ)


(今や大人気の観光地)

そうすると当然それまで島の周りを回っていた海流がせき止められ、どんどんと砂が堆積して環境を変えてしまう。そこでダムと橋とで元の姿を取り戻そうというプロジェクトが2006年から始まった。当初2010年(今年じゃん!)完了を目指していたのがその後2012年に伸び、今はどうやら2015年と言うことになっているらしい。う~ん・・・、延び延び・・・。でも工事中もアクセスは確保されるそうだ。


(工事予定図)

朝早く出て来たのでそろそろお腹も空いている。名物のふわふわオムレツを本家ラ・メール・プーラールで食べようと思うと、列に並んで待たなくてはならないししかも40ユーロ前後もするので、ちょっと坂を上がったところにあるカジュアル版レ・テラス・プーラールまで行ってみた。うまくランチで混み出す前に滑り込み、グラスワインも入れて30ユーロくらい。パリのカフェでのディナーよりは高いが観光地だし仕方がない。「大きい」と聞いていたがスフレのようにふわふわなので恐るるに足らず。


(名物ふわふわオムレツ)

テラス・プーラールのすぐ向かいぐらいにサン・ピエール教会がある。ジャンヌ・ダルクの像が迎える入り口から中に入ると、そこは岩山を掘り下げて作ったこじんまりとした教会で、なんだかとても落ち着く空間だ。

この先の長い階段を上った上にある修道院で修道士達は禁欲的な生活を送っていたわけだが、意外と飽きなかったかも・・・と感じた。あちこち歩いて壁や柱に触れてみたりしたのだが、どの一角を取ってみてもそれを構成する石の形やはまり具合が一つ一つ異なっていて、しかも絶妙な構造強度を実現しているのだ。ひょっとすると毎日のように新しい発見があって、それを神様からの贈り物のように楽しんでいた修道士がいたとしても不思議ではない。

結局4時間くらい急な坂や石段を上ったり下りたりして楽しんだ。パリから日帰りのバスツアーだと昼食時間をのぞくと1時間半くらいしか滞在できないらしいから、私だったら物足りなかったに違いない。帰りのバスに乗る時は早めに並んでおいて、一番後ろの席を確保するのもいいかもしれない。遠ざかってゆくモン・サン・ミッシェルの最後の姿にゆっくりと別れを告げることが出来る。

なんだか来るのに大変な場所、と言うイメージがあったが全くそんなことはなかった。お天気にらみだったので現地で取った列車とバスの予約だが、帰ってきて調べてみたらどうやらネットでも取れるらしい。知り合いが行きたいと言ったら勧めてあげよう。そういえばドイツの鉄道もネットで簡単に予約が出来て、切符は自分のプリンタで印刷したのを持っていけば良かった。いちいち登録して使うたびにユーザーネームとパスワードを要求される日本のシステムよりは、遙かに使いやすかったのを覚えている。

残念ながら出会うことはなかったがここにも猫さん達がいるらしい。ポストカードで満足しておくことにする。(この後はエビアンとおまけが続きます。)

2010年フランスの旅 -6-

翌月曜日、いよいよモン・サン・ミッシェルだ! ところが朝の天気はなんだか冴えない。薄暗い曇り空、でも天気予報は晴れだと言っている・・・。もう知らん!

前日アイスランドからの火山灰の影響で閉鎖されていたイギリスの空港に再開のめどが立つと同時に、オランダで2カ所閉鎖のニュース。でも気流の影響でどうやらパリまでは降りてこないようなので、翌日のジュネーブ行きには問題なさそうだ。飛ばなかったらまた列車の手配がちょっと面倒だと思っていたので一安心。

モンパルナスから7:30のTGVでいざDol de Bretagneへ。一等の車内はビジネス・スーツ姿の乗客が多い。Le Mansの駅で停車が長いな、と思っていたら車内アナウンス(フランス語オンリー)があって乗客がどよめいた。目の前に座ったおじさんも「なんてこった」みたいな表情をしているので尋ねてみると、ぞこぞで事故があって復旧に2時間かかる予定だという。え~~っ?! そんなのってあり?

10:30くらいにドル・ドゥ・ブルターニュに着いてそこからすぐにバスに乗る予定だったのだが、はたしてどうしたものか。座席の窓の外に車掌さん達が集まっているのが見えたので聞きに行ってみた。そうすると、11:30にRennesからモン・サン・ミッシェル行きのバスが出るので、それに乗ると良い、とのアドバイス。せっかくドル経由は良い思いつきだと思っていたのに・・・。

結局2時間はかからず1時間くらいで発車。さっきアドバイスをくれた車掌さんが通りかかったので「やっぱりレンヌ?」と確認してみたら自信満々でそうだ、と答える。ところが! レンヌが近づいてくると再び車内アナウンス。モン・サン・ミッシェルとかドル・ド・ブルターニュとか言っている。目の前のおじさんは英語があまり出来なくて、見かねた通路向かいの女性が教えてくれた。「この列車に接続するためのバスなのでドルで待っているらしいわよ。」 おお! そういうことですか! 

JRの車掌さんだったらきっとみんなが正しい情報を持っていて、もし分からない時は確認してから教えてくれるんだろうが、SNCFではそういう日本の常識が通じない。まあ、仕方がない、ここは異国だ。結果良ければ全て良しとしよう。なんと言ってもこの頃までに、朝出てきた時心配だった雲がほとんど消えていたのだ。 (次はいよいよモン・サン・ミッシェル)

2010年フランスの旅 -5-

日曜日もやはりすばらしい天気に。モンサンミッシェルは今日にすればよかったかしら・・・、と一瞬後悔したが今更仕方がない。気を取り直して市内観光に出ることにした。あっちこっちで乗ったり降りたりすることになりそうだと思い、地下鉄一日乗り放題のモビリスという切符を買って、一昨日あきらめたシテ島へ。ここにはノートルダム寺院とサント・シャペルがある。ノートルダム寺院ではちょうどミサの最中。邪魔をしないようひっそりと見て回ったりフラッシュをたかずに写真を撮ったり。意外なことにお説教はフランス語と英語のバイリンガルだった。

サント・シャペルの前は相変わらず長蛇の列でしかも進みが遅い。でも昨日のベルサイユの列を思えば、もう怖いことはない。意を決して並ぶ。並んで待っている間にガイドブックを開いてこれから見るもののおさらいをしたり、その後の行動を計画したり出来るので、ホテルを出るときまでに周到な計画を立てる必要がない。効率的に時間を使おうと思えば、けっこう無駄なく過ごせるものだ。

進みの遅い長い列の理由は厳しいセキュリティ・チェックだった。でもそのおかげでシャペルの中はそれほど混んでいない。並べられた椅子に座って有名なステンドグラスをゆっくりと鑑賞することが出来る。


(両側に並べられた椅子。向かいのステンドグラスをのんびり眺める。)


(メインのステンドグラス。クリックで拡大します。)


(外から見るとこうなっている。)

マリー・アントワネットが断頭台までの2ヶ月半を過ごしたとされるコンシェルジュリを見て、再びメトロに。


(復元された王妃の独房。本人と監視役つき。)

今度はチュイルリー公園からコンコルド広場を抜けマドレーヌ寺院へ。まるでギリシアの神殿のような教会だが、1764年の着工時にはその用途が決まっていなかったって・・・どうなの? ちなみにマドレーヌとは、最近の研究で実は改心した娼婦ではなくキリストの妻だったと言われているマグダラのマリアのことです。


(天使に囲まれ天に昇るマグダラのマリア像。)

その後メトロでベルシーへ。でもって、スターバックスの前に列をなすパリっ子って、どうなの?

倉庫街を改装したベルシー・ヴィラージュという小さなショッピングストリートには、手作り好きにはたまらない手芸・工作用品が満載のロワジール・エ・クレアシオンというお店がある。作っている時間なんてないことは分かっているのだけれど、あれもこれも欲しくなって・・・・・・とても危険な店だ・・・。(もう少し続く)

2010年フランスの旅 -4-

広い空間にクラシック音楽が流れる中散策していると、なんだか異空間に迷い込んだような気分だ。宮殿から大水路に至るまでですでにほぼ1kmあるらしいが、その間にたくさんの噴水が点在し、4月から10月までは噴水ショーが行われる。この期間のパスポートはそのために7ユーロも高い。どれかは見ないと後で損をした気分になりそうな人は、庭園に入るところにおかれたパンフレットで、どの噴水がどの時間に水を噴き上げるのか確認できる。

(庭園の地図。クリックすると拡大します。とにかく広い!)


(アポロンの馬車の泉水)

グラン・トリアノンはルイ14世の私邸として立てられた離宮で、ピンクの大理石とゴールドの組み合わせが意外にもシックで美しい。何の目的か分からないが新郎新婦姿の二人の写真撮影が行われていて、とてもさまになっていた。本当のカップルだったらとても良い思い出の写真になることだろう。そんな趣のある建物には、後にナポレオン夫妻が暮らした。


(今も公式行事に使われる廷内。クリックで拡大します。)

ルイ15世がポンパドゥール夫人に「ねぇ、ねぇ」とおねだりされて(?)造らせたプティ・トリアノンはルイ16世の即位後にマリー・アントワネットに贈られ、王妃はここに池やら農場やら、水車小屋やら村里やらからなる田園風景を造りあげた。


(これがお庭の中って、すごくないですか?)

いかにも田舎風の建物が点在する一角、トリアノンの自室の窓から見える場所に建てられたのが白い大理石の東屋風の建築物 Temple of Love だ。ヘラクレスの棍棒から弓を切り出そうとするキューピッドの像が置かれているが、これはレプリカだそうな。オリジナルはルーブル美術館にあるらしいのだが、残念なことに覚えがない。


(クリックしてください。ちょっとお気に入りの写真です。)

農場には山羊、ウサギ、鶏などが飼われていて、心なしかこのあたりには子供連れが多い。一匹いじめっ子の山羊がいて、小さな子ヤギに喧嘩を仕掛けているところに、別の山羊が仲裁に入って、代わりに喧嘩の相手をする羽目になっていた。歩き疲れた足を休めてまったりと観劇するプチ・ドラマとしては上出来。

その後宮殿を「はい、閉館のお時間です」と係員さん達に追い出されるまで見学した。「戴冠の間」に飾られたダヴィット作「ナポレオンの戴冠式」も本人が書いたレプリカで、オリジナルはやっぱりルーブル。こちらはちゃんと覚えているし、写真にも撮ってあった。

(ルーブルのオリジナル)

ベルサイユは現在改修の真っ最中。場所によってはビフォー・アフターがはっきりと分かる。(もっと続く)

(クリックすると拡大します。)