冒険の旅 ウルグアイ編

 人生初の南米出張はウルグアイだった。日本のほぼ真裏の首都モンテビデオで4日間の会議を終え、さあ、帰国の途に着こうと言う時に事件は起こった。

 午後1時台のサンパウロ行きの便がいきなり欠航になったのだ。すでに出国審査を通って待っていた乗客達はパニックだ。皆サンパウロから接続便があるのに、火山灰の影響なので航空会社はいっさいの責任を取れないと言う。なすすべなく預けてあった荷物を引き取り翌日早朝の便に予約を入れ空港近くに宿をとった。

 翌朝4時にチェックアウトすると、フロント係りが今朝の便も欠航らしいと言う。打ちのめされながらもとりあえず次の便のキャンセル待ちをするしかあるまいと思い空港へ。ところがなんとその日のサンパウロ便は全便欠航。火山灰ではない、機材がないから。前の日に飛行機が飛んできていないのだ。だったら昨日のうちに分かっていたはず。何故教えない?!
 
 前日の欠航でこの日は他の航空会社も全便満席。乗れるとしたら翌々日しかないと言われても、日本でも仕事が待っている。何とかウルグアイを脱出しなくてはならない。聞けば隣国アルゼンチン行きのフェリーが出ているとか。電話が通じた日本のエージェントにその経路も含めて帰国手段を探してもらうことにした。

 数度にわたる国際電話と不安いっぱいの待機の後、ブエノスアイレスから夕方の便で飛べるとの連絡。良かった!・・・ところが、である。思ったよりもフェリーの便数が少ないのだ。最寄りの港からではせっかく予約できた飛行機に間に合わない。万事休す!

 他の手段は、とコンピュータ画面をにらんでいると昼頃にもう1便のフェリーが。これなら間に合うが別の港から出る便で、そこまではタクシーで2時間半もかかると言う。でももうそれしか手段はない。躊躇している暇もない。空港タクシーならクレジットカードで支払える。こうして350米ドルで雇ったドライバーは、土埃がもうもうと立つ道を疾走し、何とか無事に乗り場に送り届けてくれたのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年1月号掲載)

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