世はスマートばやりだ。スマートフォン、スマート家電 smart appliances、スマートグリッド、スマートメーター、スマートハウス、スマートコミュニティ・・・。昨年の秋からは日経BP社が Smart City Week なるそこそこの規模の展示会と国際会議を開催している。
昔はスマートと言えばほっそりとした体型だったり、洗練された服装や物腰を表す言葉だったが、ここに来て「賢い」という意味が急速に定着したようだ。英語でも He’s smart. と言ったら外見とは関係なく「なかなか切れる奴だよ」の意味。おしゃれをしてきた相手の見た目を褒めたいならば Oh, you’re looking extra smart/spiffy/chic today! 等という。ちなみにこの extra は「いつも魅力的だけど今日は特に」というニュアンスなのでお奨めの表現だ。
人間ならば賢い、物ならばセンサーやコンピュータを搭載してインテリジェンスを持たせたものがスマートと呼ばれる。最近の流行言葉のように思われるかもしれないが、smart bombs と呼ばれる誘導装置付きの爆弾は1960年代のベトナム戦争から使われ始めた。
平和利用でも’90年代にはすでにコンピュータ制御の初代 smart elevators が登場していた。こちらもさらに進化して最近では籠 car の中に押しボタンのないエレベーターまである。乗る前にホールで行き先階を指定したり、会社であればICチップ搭載のスマートな社員証を認識して、自動的にオフィス階まで送り届けてくれるのだそうだ。そこまでされるとプライバシーを侵害されているようで気持ちが悪いが、籠の中でエレベーターを操作するオペレーターに変わって1950年代から順次導入された階数ボタンにも、最初の抵抗はどこへやら、人々はあっという間になじんでしまったと言うから、そのうち何もせずに乗り込んで自動的に運んでもらうのが当たり前になる日も来るのかもしれない。
身の回りの物がどんどんスマートになっていく。その生みの親である人類は、いったいどうなんだろう?
(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年11月号掲載)