ある会議で一緒になった通訳者達の中に小さい子供のお母さんが二人いて、昼食時の会話で盛り上がっていた。たまたま耳に入ってきたのが「機関車トーマスってそばとらないよね?」えっ、蕎麦?思わず振り向くと会話の相手も首を傾げている。言った本人もまわりの反応から自分の言葉を反芻したらしく「あ、いや・・・空飛ばないよね・・・。」一瞬の沈黙の後、大爆笑。
言い間違いは誰にでもあるが、時にそれは秀逸なユーモアになる。何を隠そう私はそういうのが大好物である。ソバトラナイとソラトバナイのように文字を入れ替える anagram アナグラムという意図的な遊びはアルファベットでもあって、silence と license のような単語レベルもあれば、有名なハリー・ポッターの宿敵 Tom Marvolo Riddle が I am Lord Voldemort だったという謎解きにも使われたりする。
文章として「空」「飛ばない」が「蕎麦」「取らない」になるのだととらえると Spoonerism 語音転換というれっきとした言語学上の名前の付いた言い間違いになる。初めてその言葉に触れたのはエラリー・クイーンを夢中になって読んでいた高校時代だった。推理小説の脚注にあった William Spooner なる Oxford 大学の学寮長が a crushing blow 痛烈な一撃を a blushing crow 赤面したカラスと言い間違えたという説明が可笑しくて、いつまでもけらけら笑い続けて親に心配されたので本編以上に印象に残っている。日本語の回文に通ずる言い間違いの楽しさを、米国の著述家リチャード・リーダラーは Spooner gave us tinglish errors and English terrors at the same time. 「くすぐられるような言い間違いと正統言語の危うさを同時に与えてくれた」と見事なスプーナリズムで評論している。
パネルの参加者が「釈迦に念仏とは思いますが」と話し出した。「釈迦に説法」の言い間違いに違いない。でも、ひょっとするとどうせ分かってもらえないというあきらめから「馬の耳に念仏」とまぜちゃったのかも・・・、と思うと真意が分かるまで訳せないし笑えない。
(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年1月号掲載)