ある会社の決起大会 a kick-off meeting で社員がそれぞれ決意表明をする場面があって、一人の日本人の営業マンが声高らかに ”I want to challenge my quota!” と宣言した。日本人の管理職の皆さんがうなずく中、外国人の役員は当惑した様子でお互い顔を見合わせている。何があったのかお分かりだろうか。
人生最大の挑戦 the biggest challenge of my life のようにぴったり来る表現があるので挑戦=challenge の公式が定着してしまったのかもしれないが、実はこの両者、視点が違う。人生最大の挑戦をするのは自分、でも英語の challenge はその挑戦の対象となる難関を指すからだ。直訳すると不自然になるので別物だと思って語法を覚えた方が安全な言葉の一つだ。
日本語のチャレンジは多分に精神論的ポジティブな意味合いで使われるようだ。ハードルは高いけどとにかく頑張ってみます、というチャレンジ目標 stretch goals、ダメモトでプロスポーツの入団テストにチャレンジする tryout、未知なる世界への挑戦 sail in uncharted waters 等々、何かを実現するための挑戦だ。
一方英語で a challenge to world peace 世界平和への挑戦と言う場合、世界平和を脅かすもののことで、それを確立しようとするものではない。元来言いがかりや非難を意味していて、それが試練、挑戦、難題と時代を追って定義が増えたり変わったりしてきたのが challenge なのだ。
そこで動詞になっても人が相手の場合、挑戦状を叩きつけるような意味合いになる。She challenged her boss to prove her incompetence.「私が無能だというなら証明して見せなさいよと詰め寄った」という感じ。また目的語が人以外の場合は We must challenge the fairness of your statement.「発言の公平性に疑問を唱える」というように正当性を疑う意味で使う。つまり件の営業マンは「ノルマに挑戦します」と言おうとして「ノルマに異議あり!」と言ってしまっていたのだった。
(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年6月号掲載)
有名なのがありました
日本の某運送会社が
社有車に貼ったとか…。
“Challenge safe driving for the 21st century.”
※ 21st century と意味もなく大上段というのも日本っぽいですね。
日本っぽい
多くの人の目に触れるものは絶対にネイティブ・チェックをかけるべきだと思うのですが、
何故か多くの企業が(かなりの大手を含めて)それをしないのですよね。
不思議です。
担当者がよっぽど自分の英語に自信を持っているのか、
ほんの数万円のコスト削減が企業イメージより大切なのか、
どうせ誰もちゃんと読まないし分からないんだから、
英語っぽいものを並べておけば格好いいと思っているのか・・・。
畏れ
大企業の国際部門にいましたけど、かなり怪しい英語が大手を振っていました。
「これで良いのだろうか」
という、言葉に対する畏れがないように感じます。自信がある・ない、費用節減とも違って…。
おそらく日本語を書くときにもこの問題が現れているように思います。