昔IBMで主要なコンピュータやプロセッサの開発を手掛けたレジェンド的なエンジニアがいて、数年前に引退するまで時々講演のために来日していた。開発の裏話など聞けて楽しかったのだが、最後に会った時にはハードの性能が上がってもプロセッサのマルチコアを活用するための並列処理 parallelism のプログラミングがアプリケーションでされていない、ウィンドウズにゲームがついてくるのは遊んでいるコアを使わせるためだと嘆いていた。その後の改善には明るくないがPCの反応の遅さにいらっとして彼の言葉を思い出したので、今日はパラレルの話をしよう。
今年はNPT、TPP、沖縄の米軍基地移設問題、憲法解釈など、ずいぶん大型案件で「平行線」の議論が相次いだ印象がある。平行した2本の線はどこまで行っても交わることはないので、日本語では交渉が不調に終わる fail to narrow the differences ことを意味するが、英語では2本の線が仲良くどこまでも続く様子は似ていたり匹敵したり一致したりする時に使われる。そこで埒が明かない議論についつい Our arguments are parallel. なんて言ったら「考え方としては一緒だよ」と同意を示すことになる。もちろんそれが突破口 breakthrough を開くきっかけになる、なんていう棚ぼたもなくはなさそうだが、意図しないことは言わないに越したことはない。
ちなみにここで使った「~たり~たり~たり」という連続や「なくはなさそうだが~言わないに越したことはない」という二重否定の多重化は並列法という修辞法 rhetoric でこちらも英語では parallelism と言う。
最後に、日本語との発想の違いに驚くパラレルをもう一つ。まさかの縦列駐車 parallel-parking だ。車同士は一直線だが縁石 curb に対して平行に停めるから。対する並列駐車はやっぱり縁石に対して垂直なので perpendicular parking … やれやれ。
(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年9月号掲載)