責任放棄と優しさと
年明けに札幌の実家に帰省したのだが、1週間もいると普段東京で暮らしている時にはついぞ使わない北海道弁がなんとなく戻ってくる。最近出来るだけ歩くことを心掛けているので、出かける用事がない日でも実家の周りの雪道を散歩していたのだが、母がすっかり東京暮らしが長くなった娘を心配してくれる。「ちゃんと手袋はいたかい?」「大丈夫、はいたよ。」そう、北海道では手袋は靴下やズボンと同じように「履く」ものなのだ。体の一部を上から下に向けて身につけるからかしらと思う。数え方も一足、二足だ。
インクの切れたボールペンを「まだ書かさるかと思ったけど駄目みたい」と言う時の「~さる」も独特の表現だ。炊飯器のピー音に「ご飯、炊かさったみたいだからもって(よそって)」など、自分が能動的に関与していない結果を説明するのに使われる。PCのマウスやカメラのシャッターがうまく「押ささらない」とか、逆にポケットに入れていた携帯が「押ささって」電話が「かからさっちゃう」こともある。ただ自分が書いたのに「なんか変に書かさっちゃった」と言い訳するのは意図していないことが起こってしまった、不可抗力だと言っているようなものだから、責任転嫁や放棄に便利な言い回しだと言われることもある。
母が洗って水切り籠に入れてあった食器を拭きながら片づけていたら汚れが落ちていない小鉢がある。年齢から握力も弱くなってきているのだろう。洗い直しているところを見られてしまったので「なんかこれ、きれいに洗わさってなかったからね」と説明しながら、相手のせいにもしなくてすむ、本当に便利な表現だと気が付いた。書類の表の見栄えが悪いのを指摘するのに「変なところに線が引かさってる」と、あたかもコロポックルがいたずらでもしたかのような物言いをするのが北海道人なのだ。あんまり便利なものだから意識していないとついつい言わさってしまいそうだ。
(「毎日フォーラム 日本の選択」2018年2月号掲載)