ちょうど1時間遅れでドル・ドゥ・ブルターニュに到着すると「モン・サン・ミッシェルに行く人は?」と誘導する声がする。小さな駅舎を出ると目の前に大型バスが止まっていた。新しくてきれいだ。これならレンヌから1時間以上乗っても平気かもしれない。乗客は十数人、イタリア語、韓国語、中国語・・・、色々な言葉が車内のあちこちから聞こえてくる。
何気なく左側の座席に座ったのだが、出発してから10分ほどたった頃、左手に広がる田園風景の向こうに遠く、しかりくっきりと浮かび上がる異質なものの存在感に目を奪われた。モン・サン・ミッシェルだ! 思わず窓にかじりつくようにして見入ってしまった。その後も時折見えつ隠れつする目的地に向けてのバスの旅は約30分。ラスト・ストレッチでは正面にどんどんと近づいてくる。そして周囲600メートルの岩山の麓にバスは到着した。
年間3百50万人が訪れるという世界遺産は12世紀にもわたる建造・破壊・修復の歴史が作り出した石の要塞だ。8世紀の初め、大天使ミカエル(=サン・ミッシェル)のお告げを受けたオーベール司教がその建築を始め、以来修道院、城塞、牢獄と用途を変えながら、引き潮の時にしか渡ることの出来ない神秘の島であり続けたが、1879年、とうとう地続きの道路が作られて、いつでも渡れるようになってしまった。
(お告げをなかなか信じないオーベール司教の頭に穴を空ける大天使ミカエルのレリーフ)
そうすると当然それまで島の周りを回っていた海流がせき止められ、どんどんと砂が堆積して環境を変えてしまう。そこでダムと橋とで元の姿を取り戻そうというプロジェクトが2006年から始まった。当初2010年(今年じゃん!)完了を目指していたのがその後2012年に伸び、今はどうやら2015年と言うことになっているらしい。う~ん・・・、延び延び・・・。でも工事中もアクセスは確保されるそうだ。
(工事予定図)
朝早く出て来たのでそろそろお腹も空いている。名物のふわふわオムレツを本家ラ・メール・プーラールで食べようと思うと、列に並んで待たなくてはならないししかも40ユーロ前後もするので、ちょっと坂を上がったところにあるカジュアル版レ・テラス・プーラールまで行ってみた。うまくランチで混み出す前に滑り込み、グラスワインも入れて30ユーロくらい。パリのカフェでのディナーよりは高いが観光地だし仕方がない。「大きい」と聞いていたがスフレのようにふわふわなので恐るるに足らず。
(名物ふわふわオムレツ)
テラス・プーラールのすぐ向かいぐらいにサン・ピエール教会がある。ジャンヌ・ダルクの像が迎える入り口から中に入ると、そこは岩山を掘り下げて作ったこじんまりとした教会で、なんだかとても落ち着く空間だ。
この先の長い階段を上った上にある修道院で修道士達は禁欲的な生活を送っていたわけだが、意外と飽きなかったかも・・・と感じた。あちこち歩いて壁や柱に触れてみたりしたのだが、どの一角を取ってみてもそれを構成する石の形やはまり具合が一つ一つ異なっていて、しかも絶妙な構造強度を実現しているのだ。ひょっとすると毎日のように新しい発見があって、それを神様からの贈り物のように楽しんでいた修道士がいたとしても不思議ではない。
結局4時間くらい急な坂や石段を上ったり下りたりして楽しんだ。パリから日帰りのバスツアーだと昼食時間をのぞくと1時間半くらいしか滞在できないらしいから、私だったら物足りなかったに違いない。帰りのバスに乗る時は早めに並んでおいて、一番後ろの席を確保するのもいいかもしれない。遠ざかってゆくモン・サン・ミッシェルの最後の姿にゆっくりと別れを告げることが出来る。
なんだか来るのに大変な場所、と言うイメージがあったが全くそんなことはなかった。お天気にらみだったので現地で取った列車とバスの予約だが、帰ってきて調べてみたらどうやらネットでも取れるらしい。知り合いが行きたいと言ったら勧めてあげよう。そういえばドイツの鉄道もネットで簡単に予約が出来て、切符は自分のプリンタで印刷したのを持っていけば良かった。いちいち登録して使うたびにユーザーネームとパスワードを要求される日本のシステムよりは、遙かに使いやすかったのを覚えている。
残念ながら出会うことはなかったがここにも猫さん達がいるらしい。ポストカードで満足しておくことにする。(この後はエビアンとおまけが続きます。)