猫のボキャブラリー

 今からちょうど10年前の2002年9月バウリンガルと言う犬語翻訳装置が発売され、30万個販売という大ヒットを記録した。タイム誌がスーパーコンピュータの地球シミュレータと共にその年の最も価値ある日本の発明品に選んだほどだ。今はスマートフォンのアプリとして犬にツイッターでつぶやかせることも出来るらしい。その後猫版のミャウリンガルも出て友人がいそいそと購入したが、こちらは使い勝手や精度がいまいちだったらしくあっというまにお蔵入りしたそうだ。

 我が家にも2匹の猫がいるが、雌の方がおしゃべりでボキャブラリーも豊富だ。翻訳機の助けを借りるまでもなくその要求は明らかで、主に「かまって」「なでて」とそのバリエーションだ。ただ猫は鳴き声以上にボディ・ランゲージでさまざまな感情を伝えてくる。

 飼い主の脚にまとわりつくようなすりすり body rub は愛情表現であると同時に自分のものだと宣言するための marking だ。うちの雄猫は日本猫にしては骨格が大きく、若い頃は8キロの体重を乗せた重たい頭突きのごっつん head butt を仕掛けてきて、真後ろからだと「膝かっくん」くらいの衝撃があったが、これは餌の要求だ。子猫の時、母猫の乳の出を良くするためにずんずんと頭で押していた名残らしい。抱かれてなでられ気持ちが良くなった猫が人の腿や腹でもみもみ milk-treading してくることがあるが、これもおっぱいを飲む赤ちゃんの行動。信頼の証なのである。

 完全に解明されていない猫の謎がのどを鳴らすごろごろ purring だ。音域としては15から150ヘルツ。低音でしかも音量が大きいとディーゼルエンジンのアイドリングか、遠くで鳴る雷のごとき音 rumbling となる。卓越したフルート奏者よろしく息を吸う時も吐く時も止まらない。条件反射ではなく、嬉しい時ばかりかつらい時にも意図的に鳴らすことが知られているので、癒し comforting の効用があるらしいのだが、はっきりとした理由が分からない。きっとこの謎が解けるまで、猫語翻訳機の成功はないのだろう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年9月号掲載)

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