恐怖の現場

 これまでの経験で難しかった仕事と言えば、理論物理学や古生物学など、科学の基礎をある程度抑えたうえで専門用語を覚えなくてはならない会議とか、「javaの開祖がプログラミングのコツを伝授!」のように、スライドを埋め尽くす式の読み方も覚束ないまま、集中力と瞬発力だけを頼りにひたすら直訳していくしかない講演とか、色々あるのだがこれらはまれなケース。もっと頻繁で恐ろしいものがある。社内会議だ。

 通訳者はどんな現場に行っても唯一の素人なので仕事の前には謙虚に勉強する。事前に頂いた資料を読み、調べ、できるだけ周辺情報をチェックする。でも哀しいかな、社内事情までは分からない。会長、社長の名前くらいは覚えて行くが、外国人役員の言うセイトーさんが佐藤さんなのか斉藤さんなのか、ウワキさんが尾脇さんなのか植木さんなのか非常に迷うし、セイジと言われれば「せいじさん」と訳すしかないが、日本人サイドが横山部長と呼んでいる人と同一人物だと認識できた頃には会議も終盤だ。

 若い頃出かけた現場で盛んに使われていた「ソーキ」が分からなくて通訳発注の担当者に質問したら、真面目な顔で「相当キているの略です」とおっしゃる。え?と目を白黒させていたら「嘘です。総合企画部です。」一度からかって満足されたのか他にもソージが総合事務課、ケンカイが研究開発部、と色々教えてくださった。その後も様々な現場で多様な社内用語にぶつかってきた。ジケイショは事業計画書だったしセッペンは設計変更。「それにはマルチが絡むから…」は超難問。漢字の知を○で囲んで知財のことをそう呼んでいた。

 部門報告会で若い課長が登壇、その第一声に通訳者は凍り付いた。「筋肉動画発表します!」え?何の動画って?担当していた通訳者がパニックする中、パートナーがハッと気づいてプログラムを指さした。営業部金融二課長、工藤慎二。「金二、工藤が発表します」だったのだ。笑いたい、でも泣きたい、恐怖の現場だ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年7月号掲載)

「チョッパー」の不思議

 会議の休憩時間に眺めのいい窓辺で雑談をしていたアメリカ人が “There’s a chopper” と外を指さした。相手の日本人女性はそれまで無難に英語で対応していたのだが、さすがに目を白黒させているので助け舟を出した。 “Can you tell if it’s an emergency HELICOPTER or a broadcaster’s chopper?” 「緊急ヘリか放送局のか分かる?」

 会議終了後、難を逃れた彼女が帰り際の私に話しかけてきた。何故ヘリコプターがチョッパーなのか訝しがっている。答えはオノマトペ。あの羽がパタパタパタパタと忙しく回る様子を英語の擬音で chop-chop-chop と表現するのである。

 ヘリコプターといえば空中での静止飛行、ホバリングができるのが特徴だが英語の hover には親鳥が雛を抱くとか人が誰かを心配して付きまとうという意味もあり、そこから生まれたのが helicopter parents という表現だ。よくドラえもんのタケコプターのようなプロペラを頭につけて子供のもとに飛んで行くパパ・ママ姿で漫画に描かれる。わが子の成績不振や苦境を静観できず本人やその周りにいる教師などにうるさく口を出す過保護 overparenting ぶりを皮肉る言葉だが、日本でも時々問題になるモンスターペアレント同様、揶揄する言葉ができたからと言ってそうした行動が減るわけではない。言われている本人に自覚が無く他人事だと思っていると言うのもよくある話だが、傍から見るとちょっと不思議だ。

 インターネットで地図を検索していてうっかりマウスのホイールを回してしまい、いきなりある地区にズームインしてしまった。目に飛び込んできたのはたくさんのⒽマークだ。一瞬ホテルかと思ったが、どう考えてもホテルが乱立している地区ではない。そのうちⓇマークを見つけて納得がいった。高層ビルの屋上のヘリポートだったのだ。ヘリが着陸できる helipad が H で R はホバリングして救助活動 rescue ができる建物だ。ちなみに英語の heliport は空港のようにいろいろな設備が整った大掛かりな施設のことなので「マンションの屋上にヘリポートがある」のつもりで “We have a heliport on our mansion” なんて言うと「大邸宅の屋上に飛行場」と、まるで航空母艦のような家に住んでいる人になってしまう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年6月号掲載)

ソーシャルの時代

 Social engineering を普通の辞書でひくと社会工学、すなわち貧困や公害などの社会学的テーマを工学的に解決することを目指す学問分野だと説明されている。しかし同じ言葉をネット検索してみると、サイバー犯罪だの人心操作術 the art of manipulating people だのなにやら物騒な説明が上位を占める。現代のソーシャルエンジニアリングとは、だましたり他人になりすましたりしてIDやパスワードを盗み取るハッキングの手法、つまり社会と言うより社交術の方の social なのである。流行の SNS のソーシャルも同様だ。

 今や私のような通訳者風情でもこれなしには仕事にならないほど日常に溶け込んでしまったインターネットだが、その商用利用が解禁されたのは1990年代半ば、たかだか20年前のことだ。同時期にWWWと GUI ベースのブラウザ、ネット対応 OS が登場し、あっという間に一般に普及した。便利なものができれば人はいろいろな使い方を考える。企業はホームページを立ち上げて自社の宣伝を始め、個人でもまだ使い方の難しかったソフトウェアを必死に覚えては情報発信をする人たちが現れた。やがてブログのプラットフォームが複数出来上がり発信は格段に容易になった。

 一方向だったコミュニケーションは双方向へ、多方向へと発展する。一人のネット上でのつぶやきに友人ばかりか顔を見たこともない不特定多数の人たちが反応する。多くの人々の琴線に触れればそれはあたかもウィルスのように瞬く間 viral に広がり世界中をめぐる。インターネットは今や巨大な社交場だ。

 各国で電子政府 e-Governments への取り組みが始まったのは2000年前後だが、ベーシックな情報の電子化やインフラ整備はもはや当たり前。今や米国政府等でソーシャル活用への動きが活発化しているらしい。個人レベルでつぶやいて満足している場合ではない。いかにソーシャルを取り込んでいるかで行政の効率・効果が変わり、政府の先見性が測られる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年5月号掲載)

褒められ上手、褒め上手

 クライアントへのプレゼンを終えたアメリカ人が日本人の同僚に尋ねた。 How did I do? Did I do OK? 同僚は答えた。 OK! 尋ねた方は一瞬驚き、やがて不満そうに言った。 Just OK?

 とっさに使えるボキャブラリーが少ないとついつい相手の使った言葉を繰り返してしまいがちだが、可もなく不可もなし、まあ一応こなしたね、では相手もがっかりだ。こう言う時はやっぱり盛大に褒めておくのが定石だろう。日本語でも「大丈夫だったかな?」という口調がよっぽど自信なげであれば「大丈夫、大丈夫」と励ますこともあるだろうが、そうでなければその問は「なかなか良かったでしょう?」と言う自信の裏返しだ。英語でも同様で、謙遜しているわけだから That was impressive / splendid / brilliant. くらいに盛って答えた方が良いし、発音に自信がなければ心を込めた Great! だってかまわない。褒める言葉を惜しんではいけないのだ。

 日本人には珍しく仕事の相手を自宅で接待した人がいた。立派な邸宅に加え奥方が料理自慢で素晴らしい晩餐会だったのだが、ホストであるご主人が家や調度や奥様の手料理や、何を褒められても No,no,no. It’s nothing. と答える。しまいには招かれたアメリカ人が通訳者に What does he mean “It’s nothing”? といぶかしげに尋ねる始末だ。褒める側もデザインや素材や盛りつけや、具体的に取り上げて工夫を凝らしているのに、その努力まで否定されているようで面白くなかったのに違いない。謙遜が美徳であり日本では正しい礼儀なのだと説明したが、完全には納得できない様子だった。

 こんな時は You have an eye for art! 芸術にも造詣が深いとは! I’m truly flattered. いやあ、照れますな。 Coming from you, it’s really a compliment. あなたほどの方に褒められるとは光栄です、等々、上手に褒められることも大切だ。それが相手を褒め返すことにもなる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年4月号掲載)

テールゲート事件

 もう何年も前の話になるが「セキュリティ」の会議をすると言うので出かけてみたら、日本側からはネットワーク・セキュリティの専門家、アメリカ側は国家安全保障の専門家が参加していて、どうにも議論がかみ合わないのを隔靴掻痒の思いで通訳したことがある。日本でITセキュリティが話題になり始めた頃のことで、運営側が人選を誤ったのか、安全保障にも深く関わることを啓蒙したかったのか、いまだに謎だが、最近ではさすがに幅広いセキュリティのどの部分を話題にするのか、と言う意識合わせ alignment にギャップを感じることはなくなった。

 コンピュータのウィルス対策も国の安全保障も大事だが、自分の家の防犯対策だって大切なセキュリティだ。うちのマンションもオートロックで時間によっては警備員さん security guards が入り口で目を光らせているが、ある時不審者の侵入という事件 incident が起こった。その手口が「共連れ」。住人が鍵を開けて入った後にちゃっかりこっそり付いて行ってしまうことをそんな風に呼ぶことを初めて知った。

 英語では tailgating と言う。テールゲートと言えばステーションワゴンやバンなどの後ろの荷物室のこと。昔はそれに -ing をつけると、野球場の駐車場なんかで車の後ろを開いてそこに食べ物・飲み物を並べ、試合観戦の前にパーティーで盛り上がることを意味していたのだが、そんなのんびりした時代ではなくなってしまったらしい。世知辛い世の中では車を運転していて前の車の後ろにぴったりくっついて煽ることがそう呼ばれるようになり、最近ではオフィスに入るドアに、ちゃんと自分のICカードを読みとらせてから入ることを促すために No Tailgating のポスターが貼られていたりする。

 会議のさなかのテールゲート禁止もある。誰かの発言の後にすぐ自分の発言を継ぎ足すようなことをしていると You’re tailgating me. とうざったがられることがある。tailgater にはならないよう、要注意だ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年3月号掲載)