大丈夫か、ニッポン?

 全国80の医学部 medical schools のうち75校で学生の質が低下しているそうだ。試験不合格者や留年者 repeaters の増加に加え、授業中の私語がひどいらしい。そう言えばアメリカ人研究者がプラスチックの弊害について東京郊外のある大学で講義をするのを通訳したことがあるが、会場の階段教室 amphitheater は最初から最後まで学生の私語でざわざわざわざわしていて、一瞬たりとも静かになることはなかった。今時の大学生はこうなのかとあきれたが、医学部でさえそうだと聞くとさらに不安が募る。

 75校中65校は学力低下の原因にゆとり教育を挙げている。脱ゆとりが進みすっかり過去の遺物になった感のあるその理念とは「知識を詰め込む従来の教育を転換し、自ら問題発見をして解決策を探し出し、自ら主題を設定して学べる人間を育てる」ことだった。格好いい立派な作文だ。でもそれが出来るようになるにはある程度知識を詰め込んで、学ぶ姿勢を身につけておかないと無理だろうに、現場はひたすら脱詰め込みに突き進んだ。さらに育てるためにはそのための人材が必要だったはずだが、学校・教員サイドにその準備がなかった。実現可能性 practicability/fulfillment の検証不足による見切り発車が失敗の原因であるように思えてならない。

 同じ不安を覚えるのが小学校の英語教育必修化だ。ちゃんと教えられるように研修などは行われているのか、それとも見切り発車再びか・・・? 小学校でITを活用したいという政策立案担当者の皆さんを前にコンピュータ・ソフトのベンダーが「授業を行う先生達のために研修を提供したい」と申し出た。返ってきた答えは「年間100種類もの報告書を書かなくてはならない先生達に研修を受けている時間はない。」

 報告書減らせば? と思ったが通訳者に発言権はない。ついでに言えば英語の前に日本語をしっかり話せるように教育して欲しいと、ほとんどの通訳者は思っている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年12月号掲載)

進化するスマート

 世はスマートばやりだ。スマートフォン、スマート家電 smart appliances、スマートグリッド、スマートメーター、スマートハウス、スマートコミュニティ・・・。昨年の秋からは日経BP社が Smart City Week なるそこそこの規模の展示会と国際会議を開催している。

 昔はスマートと言えばほっそりとした体型だったり、洗練された服装や物腰を表す言葉だったが、ここに来て「賢い」という意味が急速に定着したようだ。英語でも He’s smart. と言ったら外見とは関係なく「なかなか切れる奴だよ」の意味。おしゃれをしてきた相手の見た目を褒めたいならば Oh, you’re looking extra smart/spiffy/chic today! 等という。ちなみにこの extra は「いつも魅力的だけど今日は特に」というニュアンスなのでお奨めの表現だ。

 人間ならば賢い、物ならばセンサーやコンピュータを搭載してインテリジェンスを持たせたものがスマートと呼ばれる。最近の流行言葉のように思われるかもしれないが、smart bombs と呼ばれる誘導装置付きの爆弾は1960年代のベトナム戦争から使われ始めた。

 平和利用でも’90年代にはすでにコンピュータ制御の初代 smart elevators が登場していた。こちらもさらに進化して最近では籠 car の中に押しボタンのないエレベーターまである。乗る前にホールで行き先階を指定したり、会社であればICチップ搭載のスマートな社員証を認識して、自動的にオフィス階まで送り届けてくれるのだそうだ。そこまでされるとプライバシーを侵害されているようで気持ちが悪いが、籠の中でエレベーターを操作するオペレーターに変わって1950年代から順次導入された階数ボタンにも、最初の抵抗はどこへやら、人々はあっという間になじんでしまったと言うから、そのうち何もせずに乗り込んで自動的に運んでもらうのが当たり前になる日も来るのかもしれない。

 身の回りの物がどんどんスマートになっていく。その生みの親である人類は、いったいどうなんだろう?

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年11月号掲載)

Happy-go-lucky! (ハッピーですか?)

 仕事帰りに立ち寄ったレストランでハッピーアワーをやっていた。夕方の店が混み出す前の時間帯に入店してもらい、通常料金の時間まで飲食を続けてもらう、あるいは回転率を上げる、と言った効果をねらったマーケティング手法で、お得感と仕事の後のほっと一息の両方がかかった happy らしい。アメリカでは70年代後半にはすでに始まっていたが、盛んになったのは80年代に入ってからで、その後いくつかの州で禁止の憂き目にあっている。もともと禁酒法時代に speakeasy もぐり酒場で始まった習慣らしいので、ぐるり巡って出発点に戻ってきたと言うことか・・・。

 ハッピーは外来語として古くから定着した言葉の一つだが、日本語の辞書では幸福・嬉しい等かなりポジティブな意味で説明されている。一方英語の方はかなり幅が広く unhappy でなければ全て happy だ。ほとんど crazy に近いニュアンスで trigger-happy ticket-happy cops やたらと銃を撃ちたがる、違反切符を切りたがる警官、knife-happy surgeons とにかく切りたがる外科医、strike-happy unions 何かというとストに走りたがる労組、なんていう使い方もある。

語源は happen と同じで、偶然の出来事が幸運であったことを指していたのが、次第に幸福や楽しさを意味するようになり、そこまで嬉しくなくても満足である状態までカバーするようになった。厳しい交渉の末できあがった契約書を前に Are you happy? 「満足ですか。」返ってきた答えが苦虫をかみつぶしたような Yes だったらハッピーどころか「かろうじて」の意味だ。

 少し前に別れた ex 元カノ・元カレが、振られた後の自分の misery 惨めな状況をさんざん愚痴ったあげく、いきなり Are you happy now? と尋ねてきたら「で、あなたは今幸せなの?」の可能性は低い。「こんな不幸な私を見て、さぞや満足でしょうね」の意味なので、間違っても喜色満面で Yes!などと答えてはいけない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年10月号掲載)

猫のボキャブラリー

 今からちょうど10年前の2002年9月バウリンガルと言う犬語翻訳装置が発売され、30万個販売という大ヒットを記録した。タイム誌がスーパーコンピュータの地球シミュレータと共にその年の最も価値ある日本の発明品に選んだほどだ。今はスマートフォンのアプリとして犬にツイッターでつぶやかせることも出来るらしい。その後猫版のミャウリンガルも出て友人がいそいそと購入したが、こちらは使い勝手や精度がいまいちだったらしくあっというまにお蔵入りしたそうだ。

 我が家にも2匹の猫がいるが、雌の方がおしゃべりでボキャブラリーも豊富だ。翻訳機の助けを借りるまでもなくその要求は明らかで、主に「かまって」「なでて」とそのバリエーションだ。ただ猫は鳴き声以上にボディ・ランゲージでさまざまな感情を伝えてくる。

 飼い主の脚にまとわりつくようなすりすり body rub は愛情表現であると同時に自分のものだと宣言するための marking だ。うちの雄猫は日本猫にしては骨格が大きく、若い頃は8キロの体重を乗せた重たい頭突きのごっつん head butt を仕掛けてきて、真後ろからだと「膝かっくん」くらいの衝撃があったが、これは餌の要求だ。子猫の時、母猫の乳の出を良くするためにずんずんと頭で押していた名残らしい。抱かれてなでられ気持ちが良くなった猫が人の腿や腹でもみもみ milk-treading してくることがあるが、これもおっぱいを飲む赤ちゃんの行動。信頼の証なのである。

 完全に解明されていない猫の謎がのどを鳴らすごろごろ purring だ。音域としては15から150ヘルツ。低音でしかも音量が大きいとディーゼルエンジンのアイドリングか、遠くで鳴る雷のごとき音 rumbling となる。卓越したフルート奏者よろしく息を吸う時も吐く時も止まらない。条件反射ではなく、嬉しい時ばかりかつらい時にも意図的に鳴らすことが知られているので、癒し comforting の効用があるらしいのだが、はっきりとした理由が分からない。きっとこの謎が解けるまで、猫語翻訳機の成功はないのだろう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年9月号掲載)

世にも危険な「プリーズ」

 司会者が日本語で講演者を紹介した後、英語で Dr.X, please start your speech. と呼びかけた。たどたどしい発音なので Dr.X も苦笑いして許してくれたことだろうと想像するが、これでは時間が押しているのにもたもたしているX氏に「いい加減に始めて下さい」と言っているかのよう。こういう時は聴衆に対して Ladies and gentlemen, please welcome Dr.X. と呼びかける方が自然だ。

 外国人に道を尋ねられて Please go straight for two blocks and turn left. というのも妙だ。嫌かもしれないけど我慢してもう少しまっすぐ行ってくれ、と聞こえる。ストレートに Go straight… でかまわないし、どうしても命令形に抵抗があるなら Two more blocks ahead, and you’ll see it on your left. みたいな言い方もある。説明の命令形にpleaseはそぐわないのだ。取扱説明書などで目にする Press the red button to activate the machine. のような文章につけてみるとその不自然さが分かる。間違っても緑ではなく赤を押すようにと念押しされているか、何が何でもマシンを立ち上げてくれと懇願されているような文章になる。

 「pleaseをつけると丁寧になる」という思いこみは危険だ。確かに「コーヒー、紅茶、どちらになさいますか?」と聞かれた時にはぶっきらぼうに「紅茶」と答えるよりは Tea, please. の方が良いに決まっている。しかし職場で秘書や後輩に Get me some coffee, please. なんて言うと「コーヒーくらい入れてよ、気が利かないな」となる。 Would you make me some coffee? と頼んだり I could use some strong coffee. のように自分の窮状(?)を訴える方が良い。

 数年前に行ったアムステルダムのゴッホ美術館は展示物の写真撮影が禁止されている。こっそりカメラを構えた男性に鋭い声が飛んだ。 No photo-taking! ぎょっとして振り返った男性に追い打ちをかけた係員の一言がドスの利いた Please! 「すみませんがお願いします」ではない。「さもないと・・・」なのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年8月号掲載)