カタカナは日本語だ!

昔 IT が通信と融合して ICT と呼ばれるようになった頃、アジア・ワイヤレス・サミットなる会議があった。当時の総務大臣は日本語の挨拶なのにインフォメーションやコミュニケーションといった外来語だけ英語風に発音し、ICT をアイ・スィー・ティーと連呼して、私には何とも気持ちが悪かった。日本語の一部になった言葉は日本語らしく発音して欲しい。

時に誤った読み方が定着してしまうこともある。昨年末、ある朝の情報帯番組でそれまでに取り上げた内容から「アワード」と称して名シーンを選ぶ企画をやっていたのだが、これにかみついた視聴者がいる。曰く「正しい発音はアウォードです。」確かにその方が award には近いのだが、ためしにインターネットで検索して何件くらいヒットするのか見てみると60万ページくらい、一方のアワードは2千500万件と桁違い。単純な比較だが、どちらが市民権を得ているかは一目瞭然だ。小学校でローマ字を学ぶ日本人は a を見るとア、o を見るとオだと思いこむのである。

女性の化粧道具で眉を描くペンシルをアイブロウと呼ぶが、アイブラウの方が eyebrow の発音としては近い。そこで同じ実験をしてみたら240万対3万5千とこちらも喧嘩にもならない。

日本語でポーチというと玄関の外側に張り出した porch だったり、ポーチド・エッグのように料理の方法 poach だったりするが、一番用法として多いのは主に女性が持つ小さなバッグのことではないだろうか。この原型は pouch で、レトルトでおなじみパウチの方が発音は正解。でもそんな呼び方をしたら絶対笑われる。言葉は先に定着したもの勝ちなのだ。

私はアワードにもポーチにも何の異論もないし ICT はアイシーティーと発音する。ベートーヴェンという表記でさえベートーベンと読むのが正統な日本人というものだ。ただウォーム warm ビズがワーム worm ビズにならずにすんだのは、素直に良かったと思う。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年1月号掲載)

冒険の旅 ウルグアイ編

 人生初の南米出張はウルグアイだった。日本のほぼ真裏の首都モンテビデオで4日間の会議を終え、さあ、帰国の途に着こうと言う時に事件は起こった。

 午後1時台のサンパウロ行きの便がいきなり欠航になったのだ。すでに出国審査を通って待っていた乗客達はパニックだ。皆サンパウロから接続便があるのに、火山灰の影響なので航空会社はいっさいの責任を取れないと言う。なすすべなく預けてあった荷物を引き取り翌日早朝の便に予約を入れ空港近くに宿をとった。

 翌朝4時にチェックアウトすると、フロント係りが今朝の便も欠航らしいと言う。打ちのめされながらもとりあえず次の便のキャンセル待ちをするしかあるまいと思い空港へ。ところがなんとその日のサンパウロ便は全便欠航。火山灰ではない、機材がないから。前の日に飛行機が飛んできていないのだ。だったら昨日のうちに分かっていたはず。何故教えない?!
 
 前日の欠航でこの日は他の航空会社も全便満席。乗れるとしたら翌々日しかないと言われても、日本でも仕事が待っている。何とかウルグアイを脱出しなくてはならない。聞けば隣国アルゼンチン行きのフェリーが出ているとか。電話が通じた日本のエージェントにその経路も含めて帰国手段を探してもらうことにした。

 数度にわたる国際電話と不安いっぱいの待機の後、ブエノスアイレスから夕方の便で飛べるとの連絡。良かった!・・・ところが、である。思ったよりもフェリーの便数が少ないのだ。最寄りの港からではせっかく予約できた飛行機に間に合わない。万事休す!

 他の手段は、とコンピュータ画面をにらんでいると昼頃にもう1便のフェリーが。これなら間に合うが別の港から出る便で、そこまではタクシーで2時間半もかかると言う。でももうそれしか手段はない。躊躇している暇もない。空港タクシーならクレジットカードで支払える。こうして350米ドルで雇ったドライバーは、土埃がもうもうと立つ道を疾走し、何とか無事に乗り場に送り届けてくれたのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年1月号掲載)

波乱の海外 オーストラリア編

 9月に妹とオーストラリアに旅行した。日本からの便は夜に成田を出発して早朝に到着する。シドニーで入国後、乗り継いでメルボルンへ向かう旅程だ。搭乗が済みまもなく離陸かと思う頃、機長から機材トラブルで出発が大幅に遅れるため、次の便に乗り換えたほうが早いと言うアナウンス。エコノミーの席だったので座席の背を倒すのに気兼ねがないようブロックの最後列を取っていたのだがその工夫も水の泡だ。がっかりしながら航空会社のサービスカウンターに向かった。

 ぞろぞろ降りてきた乗客がこぞって次の便に座席を確保しようとする中、預けた荷物はどうなるのか尋ねると、次の便ではなくさらにその次になると言う。バゲッジ・クレームのあたりで空しく待つよりこのターミナルの方がましだと思い、そちらに変更した。もともと朝9時ごろの到着のはずだったのでホテルのチェックインには少々早いかと懸念していたが、この遅れで昼ごろになったのでその心配がなくなった。

 メルボルン観光後、夜行寝台列車でシドニーへ向かう予定だったので、出発の朝、確認のため駅に行くとなぜか予約が取り消されていると言う。誰が、何故、私の予約を勝手に取り消したんだ?! 未だに謎だが、2時間近くねばった結果、スタッフ用にキープしてあったコンパートメントを融通してもらって事なきを得た。のんびり出発直前に行っていたら乗れないところだったかもしれない。他は全て4人部屋の中、唯一の2人部屋だったのでかえって気を使わなくてすんだ。

 こんな綱渡りはあったものの、フィリップ島のペンギン・パレードを始めオーストラリア固有の鳥たち、コアラ、カンガルーと出会い、妹の大好きなマーケット巡りをしてとても楽しい旅行だったのだが、何故かそれだけでは終わらない。なんと帰国便が5時間遅れ。荷物を扱う関連会社のストが原因だ。結局、成田到着は夜遅く、都心へのアクセスの案内が悪いことこの上ない。最大のストレスは帰国後に待っていたのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年12月号掲載)

海外トラブル フランス編

 昔々、日本の景気がまだ良かった頃、日本のお客様は通訳者を海外に同行させた。海外在住で「使える」レベルの通訳者がとても少なかったからでもある。最近は欧米での調達も不可能ではなくなったので、通訳者の海外出張は一時期に比べるとかなり減っている。それでも年に数回は私も海外で仕事をする。せっかくなのでその前後に数日観光することもある。

 10年ほど前、日本から直行便のないジュネーブでの仕事のために数日早くパリに飛んだ。美術館巡りなどしながら時差を解消し、いざ移動という朝、CNNが Paris is paralyzed!「パリがマヒしています」と言うのにぎょっとした。公務員や交通機関の大規模ストだ。残念ながらフランス語の出来ない私は事前にその情報を得ることが出来なかったのだ。ちなみに今は2006年から始まった France24 と言うチャンネルが英語でニュースを流しているが、当時はそんなのもなかった。

 ウェブサイトで確認すると予約した便が案の定、欠航になっている。まだサイトもプリミティブでウェブ上での予約の変更なんて出来ない時代。同じ目にあった人たちからの電話が殺到しているのだろう、航空会社の電話番号に何度かけても通話中でいっこうにつながらない。さあ、困った、どうしたものか?

 手元の情報源はダイアルアップで超スローなインターネットと数冊の旅行ガイドのみ。航空会社の支店を見つけて歩いていくか、と覚悟を決めてぱらぱらとめくってみると、その1冊にエールフランスの日本語対応の電話番号が小さく載っている。これだ!とひらめいた。きっとオペレータは一人しかいないだろうが、日本人のほとんどはパッケージ旅行で来ているはずなので、この番号が混み合うわけがない!これこそ天啓とかけてみるとあっさりつながり、数時間遅れたものの、運行する便へ変更できたのだった。

 こんな綱渡り、もちろん最初で最後のわけがない。海外でのはらはらどきどき、次号もおつきあいいただきます。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年11月号掲載)

オーストラリアの英語

 英語圏には英語 British English と米語 American English 以外にも様々な英語がある。インド人は自分たちの英語こそ正当な King’s English だと主張するし、スコットランドやアイルランドの英語は聞き取りに苦労するが独特のリズムがチャーミングだ。シンガポール人同士は時制がなくて文末のラ~という音が印象的な Singlish で会話をする。フィリピンでは英語で始まったはずのニュース番組がいつのまにかタガログ語に変わっていたりしてちょっと面食らうが、どちらも公用語なので問題ないらしい。

 独特の進化を遂げた動植物相を守るため、厳しい検疫制度で海外からの種子や微生物の持込を防いでいるオーストラリアの英語もなかなか厄介だった。なにせエイがアイになるややこしい発音なのだ。グッダイ・マイト Good day, mate! は有名だがサーファーが Good waves, today! と喜んでいるのが Good wives to die.(死ぬことになっている善良な人妻たち)に聞こえてしまったりすると、もうわけが分からない。さらに難関は数字、特に年号で1999年はネインティーンネインティネインになってしまってお馴染みのナインがどこにも登場しないし、ネインティーンナイティアイトなんて言われると反射的に1998年かと思うが実は1988年が正解。何かの会議でずいぶん苦労した覚えがある。

 ところが久しぶりに来てみると、あれれ? 地元の皆さんの英語にそれほど違和感がない。あんなにはっきりとアイと言っていたaの発音がすっかりエイに近くなっているのだ。地元のニュース番組にチャンネルを合わせると、アナウンサーやレポーターの英語がCNNともBBCとも違うのだけれども、ずいぶんとニュートラルな感じになっている。

 英語が不可逆的に国際語になりつつある中、この国の英語も標準化の道をたどっているのかもしれない。聞きやすくなったのは確かだが、まるで方言が失われていくような一抹の寂しさも感じる。どんなに厳しい検疫でも言語は守れないのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年10月号掲載)