細いの太いの細かいの

 昔懐かしいトランプゲームの定番と言えばババ抜きや七並べ等があるが、一つ異色のネーミングを授かったのが神経衰弱ではないだろうか。英語では pairs とか concentration(集中力)と呼ばれる。集中力と記憶力を駆使するこのゲームに、精神努力の後の極度の疲労を意味した昔の医学用語を当てたのはなかなかのセンスだ。トランプではなくノイローゼの方の神経衰弱と言いたい時には nervous breakdown を使う。

 ナーバスは日本語でも良く使うが、神経がぴりぴり過敏になっている状態を all nerves と表現することも出来る。ところがややこしいことに nerve はそういう細い神経ばかりでなく図太い神経を表すこともあるのだ。上司に進言したいことがあったのに、最後の最後で度胸を失った時はため息をつきながら ”I lost my nerve.” ただ、やっぱり神経、触れられると痛い。そこで ”He gets on my nerves.” と言ったら「神経にさわる奴だ」となる。

 細い太いの他に日本語の「神経」は細やかな場合もある。もともとこの言葉は杉田玄白や前野良沢が1774年に刊行された「解体新書」を翻訳した際に「軟骨」や「動脈」などと共に作り出した造語で、精神を表す「神気」と気の流れるルートを意味する「経脈」とを組み合わせたものだそうだ。そんな背景があって刺激伝達経路という解剖学的意味と共に、「神経が行き届く」「細やかな神経」のような気配りの意味が生まれたのかもしれない。そこで「無神経」と言うと無自覚 insensible、鈍感 insensitive、無粋 tactless 等を指すのである。

 一方英語の nerve には思いやりの意味はいっさい無い。「無神経な奴だ」と言いたくて ”He’s nerveless.” と言ったら「恐れ知らずだ」と褒めてしまうことになる。逆に勇気や度胸が行きすぎると図々しさや厚かましさになるので、たいした神経だ、とあきれる時の ”He’s got a nerve!” こそ「なんて無神経な!」にぴったりなのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年9月号掲載)

一歩、外へ!

 人は誰でも自分が一番快適に過ごせる comfort zone を持っている。物理的な快適要因の代表と言えば温度。 大学時代にアルバイトで、Thermal Comfort という学術論文を翻訳したことがあるが、どのような温熱環境を人は快適と感じるのか、条件を色々と変えて実験した結果をまとめたものだった。温度、湿度、空気の流れなど外的要因に加えて、体型や代謝による個人差もあり、一般に太っている人が暑がりなのは、体の体積に対して熱を逃がす体表の面積が小さいからだ。

 ある時、真夏のニューヨークの空港で、数人の通訳者と冷房の寒さに震えながら乗り継ぎ便を待っている横を、半袖短パンのアメリカ人が悠然と通り過ぎて行った。皆で呆然と見送ったが、これこそまさに体型と代謝の違いのなせる業だ。

 心理的な comfort zone もある。気持ち的に無理をしなくても良い楽な領域で、その内側にいる限りストレスは少ないが容易に惰性 inertia につながる。向上心とはそこから外に出ることを恐れない心のことだ。発想の面でも固定観念 stereotype にとらわれているとなかなか突破口 breakthrough が開けない。そこで常識の枠を超えた考え方 out-of-the-box-thinking が出来ると、意外な解決策が見つかったりする。あえて外に踏み出すことがきっと人生を豊かに楽しくするのだ。

 今年は節電の夏でクールビズがスーパー・クールビズに進化したが、残念なことにそんな服装のお客様を迎えるホテルなどの施設の中に、未だに固定観念にとらわれて室内を超冷え冷えにしているところがある。例年、夏の方が冷房で風邪をひかないように気を使うのだが、さすがに今年は大丈夫だろうと油断していたら、会議が終わる頃には体が震えるほど冷え切ってしまった。外に飛び出すと30℃を超える気温が逆にありがたく、しばし真夏の日向ぼっこと相成った。

 こんな冷房は快適でもないしエコでもない。環境省のウェブサイトにでも告発ページかなんか、設けていただけないものだろうか。・・・画期的だと思うけど。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年8月号掲載)

英語になった日本語

 ヨーロッパの空港で乗り継ぎの時間をもてあましてふらふらしていたら Shiatsu Massage の看板が目に止まった。なるほど、日本のホテルではまってしまうビジネスマンも多いのだろう。さすがに空港では無理だと思うが鍼灸は acupuncture & moxibustion と言って灸の方はモグサからきた言葉だ。

 日本語に外来語があるように英語にも外国語からの loan words があって、日本語が語源のこともある。高校時代のホームステイ先の家庭には小型のバーベキューグリルがあって、それを son of hibachi だと教えられた時には耳を疑った。醤油の soy(a) sauce はてっきり soy beans 大豆から来ているものと思っていたらなんと逆だと聞いた時も驚いた。ついでにスーパーに並ぶ satsuma は芋ではなくみかんである。

 日本の経営や品質管理は世界でも注目を集めてきたので zaibatsu や keiretsu、kaizen、kanban あたりがそのまま国際的ボキャブラリーになるのは分かるが、salaryman が日本語から逆輸入されていたりするのはちょっと意外だ。ちなみにアメリカ人がスコシと言ったら日本人の「少し」をまねているのではない。実は skosh はすでに英語なのである。

 最近英語のメディアでは「自粛」を voluntary self-restraint or jishuku と表現していたりする。英語で説明しきれない気持ちは分かるものの、karoshi などのように定番化しないで欲しいと思ってしまう。

 文化の面では、国際的にも定着している ukiyo-e(発音はユーキヨエ)や origami、haiku 等に加えて karaoke も立派に国際語入りを果たしたが、いかにもの英語名を獲得した Happy coat 法被という強者もいる。さらに躍進著しいのが anime、manga、otaku などのニュージャンル。もともと costume play の短縮版だったコスプレが cosplay として世界中で愛好家達の間で大盛り上がりだ。ただ、たまにいわゆるB級の映画やドラマで窮地に陥りもう駄目状態のキャラクターが “Bonsai!” と叫ぶのは “Banzai!” の間違いなので、誰か教えてあげて欲しい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年7月号掲載)

出会いと別れの一言

 一時期ACの公共広告が数多く流れていたが、ちょっと好きだったのが「こんにちワン」や「さよなライオン」が出てくる「あいさつの魔法」。小学校低学年を対象として企画作成したそうだが、大人にも実践して欲しいメッセージだ。最近とかく隣近所のつきあいが希薄になりがちだが、住民同士が一言声を掛け合うだけで防犯上大きな効果があるそうだから、挨拶ぐらい出し惜しみせずにしたいものだ。

 先日英語での挨拶がどうも苦手で、という方にお目にかかった。顔見知りの相手だとおはようだけではすまなくて必ず “How are you?” がついてくる。中学校で習った “I’m fine, thank you. And you?” なんてネイティブは誰も言わないことは分かったけど、じゃあ、なんて言えばいいんだろう、なによりとっさに答えられない、と悩んだ結果、とにかくまず自分から “How are you?” の先制攻撃をすることにしたと笑っていらした。

 実はこちらも “How are you?” と返せば事足りるのだが、それでは何となく落ち着かなく感じてしまうのであれば、悠長に答えている時間のないときなどに便利な短いフレーズを数パターン持っていると安心だ。簡単で取っつきやすいのが “I’m good!” あたりだろうか。主語を省略するのもいい。気分の良い朝だったら “Couldn’t be better!” で元気はつらつ感が伝わる。まあまあな日は “Can’t complain.” 忙しくてちょっと疲れがたまっていたら “Just getting by.” いずれも最後に “You?” とボールを投げて完了。相手の出方を待てばいい。

 さようならにもバリエーションを持たせたい。その日のうちにまた会う予定があるなら “Catch you later.” とか “See you in a little bit.” というカジュアルな言い回しがある。 “Take care!” は「じゃ、気をつけて」という軽い意味。 “See you later.” は仕事を終えて明日まで会わない時でも使える。自分が先に帰る時は後に残る同僚に “Don’t work too hard.” 立場が逆だったら “Have a nice evening.” と送り出してあげるとスマートだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年6月号掲載)

腕の長さの距離感

 会議では実際に通訳をする前に講演者と打ち合わせ briefing の時間を設定してもらうことが多い。通訳者はコミュニケーションのプロではあっても会議のテーマ subject matter のプロではないので、いただいた資料を自分なりにどんなに勉強しても分からない部分が残る。それを確認したり同席する専門家に訳語を教えていただいたりする、とても大事な時間だ。

 ある時、講演者に同僚と私の間に座ってくれるようお願いしたら、何故か私と肩が触れあうくらいの距離に座られてなんとも居心地の悪い思いをしたことがある。後から「近くなかった?」と同僚にこぼしたら「にじりよられてたよ」と面白そうに笑われた。快適な距離の感覚が少々異なる講演者だったのだ。

 文化人類学者のエドワード・ホールが動物行動学を応用して定義した個人空間 personal space によれば相手との距離 45cm 未満は密接距離 intimate distance と言ってほとんどスキンシップの距離。初対面の相手では落ち着かないのも無理はない。個人的な会話の適正距離は個人距離 personal distance と言い 45~120cm。「手を伸ばせば届く距離」と説明されたりすると、なんだか仲が良さそうだ。

 ところが at arm’s length というイディオムは、腕の長さだから親密なのかと思いきや「距離を置く」という意味になる。グループ会社間の取引を対等な関係として行うとか、公務員が家族や友人を優遇しないとか、とても腕の長さでは足りないくらいのよそよそしさだ。いったい腕って、長いの、短いの?

 ある日うちで飼っている猫のくつろぐ姿があまりにも可愛くてついついかまいたくなり顔を近づけたら、頬に肉球がぴたっと張り付いてきた。猫はそのまま「邪魔しちゃいや~」とばかりに思いっきり両腕を突っ張って顔をそむける。これが arm’s length の正体だ。腕を伸ばした長さとは個人距離の範囲で、安易になれなれしく立ち入ってはいけない距離なのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年5月号掲載)