クルミのイメージ

 この原稿を書いている私は今ノルウェーにいて、仕事のあとの休暇中だ。連日快晴が続きこの時期の北欧にしては暖かい。しかしそれでもがっちりダウンジャケットでの重装備を必要とするのがフィヨルドの間を縫って船で行くツアーだ。断崖絶壁のところどころにまだ雪が残り、船が動いているのでデッキでは風が刺すように冷たい。100万年前にはがちがちに凍り付いていた氷河が1万年ほど前に海に向けて後退し始め、大地をえぐり複雑な海岸線を作った。ダイナミックな自然の造形は一見の価値がある。

 ところで今回のフィヨルドツアーだが Norway in a Nutshell という。ノルウェーの特徴的な見どころをクルミの硬い殻の中にぎゅっと凝縮した、という意味だ。Norway を取ってしまえば、In a nutshell, what I’m trying to say is… 要約すると、とか In a nutshell, he’s incompetent. 手っ取り早く言えば奴は無能だ、という感じで会話でも便利な表現だ。最近では I’m in a nutshell. にっちもさっちもいかないの、という使われ方もあるのだと聞いた。凝縮したというより閉じ込められたイメージだ。

 そういえばいつぞや隣国で、ナッツリターン事件が世間の失笑を誘ったことがあったが、英語では nut rage と呼ばれ当然のことながら She’s nuts about good service. 「サービスへの思い入れが強すぎ」と見出しにも書かれた。何故か nuts は crazy と同じ意味の形容詞で使われるのだ。彼と話をしているといらいらして頭がおかしくなりそう He drives me nuts! などは会話の頻出表現だ。

 名詞では、手におえない難問や何を言ってもけんもほろろの堅物をなかなか割れないクルミにたとえて a hard nut to crack と称する。また nuts and bolts と言えば木の実ではなく留めねじのナットの方で、ボルトと合わせることで物事のいろは、勘所や運営の実務など、地に足の着いた要諦を意味する。単純なひとつの単語がいつの間にか多様なイメージを纏っている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年5月号掲載)

ベアと弩級、何の略?

大手企業でベアの高額回答が相次いだ。結構なことだ。物価ばかり上がって賃金がそれに追いつかないのでは庶民はたまったものではない。アベノミクスよりもいっそベアノミクスの方が(そんな言葉はないけれど)景気回復を実感できるかもしれない。

それにしてもベアとは思い切った省略をしたものだ。その正体がベースアップという和製英語であることを知った時にはかなり驚いた覚えがある。でも考えてみると昔からモボとかモガとか日本にはどうやらそういう伝統があったらしい。プロ野球も両リーグ合わせるとセパだ。昔はレーヨンをスフと呼んだそうだがその元となったステープル・ファイバー staple fiber は人工繊維に限らず、例えば綿でも短く切りそろえられた糸の総称だった。

これらはある意味日本語版の頭字語 acronym だが、2つの単語の最初の1音節だけを取ってつなげた例はあまり多くない。同じ2文字でもデモやデマ、スト、オペ等は元の言葉の頭だけを残した短縮形の略語 abbreviation だ。3文字以上になるとデフレ、インフレ、リストラ、アクセルなども同様だが、頭の文字を1~2個ずつつなげた例も多くなり、スマホ、コスパ、ハンスト、インパネ、ファミレスなどがある。しかも略されるのは一般的な言葉だけではない。マック、ミスド、ブラピ、キムタク、ドラクエなど固有名詞まであって、おそらく略称で定着すれば人気者という事なのだろう。

漢字の略称は政党名や省庁名、法律名など枚挙にいとまがないが、漢字とカタカナの組み合わせはちょっと面白い。まずは一世を風靡したアナ雪がそうだ。連ドラ、筋トレ、塩ビ、マル経などは元の言葉が容易に想像できるが、さて、ド級、超ド級はどうだろう。近代史ファンでもない限り、イギリス海軍の軍艦ドレッドノート Dreadnaught クラス(級)を略した言葉がこれほど独り歩きをしていることにはなかなか気づかないのではないだろうか。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年4月号掲載)

あんなチェンジ、こんなチェンジ

 日本人は総じて読み書きそろばんが身についているのでつり銭 change として返ってくる硬貨の数を減らそうと、860円の買い物に1010円出すくらいのことは誰でも自然にやっていると思う。アメリカで同じ発想で9ドル77セントの会計に10ドル札と2セントを差し出したらものすごくいぶかしがられたことがある。構わずレジで計算してもらうとおつりはきれいに25セント quarter 硬貨が1枚、店員さんの驚いた表情に逆にこちらがびっくりした。

 日本のおつりは札から返されその後小銭というパターンが多いが、アメリカでは逆に5ドル23セントの買い物に10ドル札を出すとまず2セント返して「5ドル25セント」と宣言し、そこにクオーターを3 枚加えて6ドル、最後に1ドル札を一枚一枚 seven, eight, nine, ten と数えながら渡して終了となる。どうやら引き算するという発想がないらしい。最近はもっぱらクレジットカードで支払うので気が付かなかったが、ヨーロッパも同様と聞いた。

 小銭の話から入ったが change と言えば変化・変革の方が一般的か。オバマ大統領の例を待つまでもなくリーダーが変わろうと呼びかけても大体抵抗にあうので The only one that cries for a change is a wet baby. 変えて欲しいと泣くのはおむつを濡らした赤ん坊だけという one-liner 一行ジョークがあったりする。

 ある外国企業のパートナー会社の担当専務は日本語と英語を行ったり来たりするので通訳者は気を抜けないが、挨拶は大体英語なのでのんびり構えていたら Did you hear that our president changed? おっと、いきなり仕事だ。虚を突かれた様子のCEOに They have a new president. 社長が交代したの、と囁いて納得してもらった。経営陣 management なら change で構わないのだが、our president が変わったと言うと「人が変わって別人のようになってしまった」ことになるのだ。ご用心。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年3月号掲載)

意外な放送禁止用語

 私はよく通訳者は「季節労働者で日雇い労働者、おまけに体力勝負の肉体労働者」だと説明するのだが、ある時「日雇い」はいわゆる放送禁止用語だと教えてくれた人がいる。放送業界の自主規制により「自由労働者」と言い換えるのだそうだ。会議通訳者はほとんどがフリーランスなので間違いではないのだが、なんだかちょっと違う。化粧室 lady’s room や「亡くなった」 passed away のような婉曲表現 euphemism はどの言語にもあるし、あからさまな差別用語や悪口は聞かされるほうも不快だからある程度規制するというのも分かるが「共稼ぎ」がだめで「共働き」なら良いというのもどうもピンとこない。

 PC politically correct を目指すのはどうやら近代人の常らしく、ごみ収集作業員 garbage man がいつの間にか sanitation workers になっているし、遡って第二次世界大戦中にもイギリス議会が rat catchers ネズミ捕りを rodent officers げっ歯類担当官に変更したりしている。しかしいかに他者への配慮でも行き過ぎると反発も生まれる。身体障碍者 people with disabilities が言い換えられて physically-challenged が提唱された頃から、そんな風潮を揶揄する用例が生まれ始めた。例えば vertically-challenged 縦方向にハンディを負った = short 背が低い、逆に横方向であれば fat などが良く使われていたが、中にはわざと医学用語っぽく作られた follicularly-challenged 毛根にハンディ = bald のようなものもあった。

 放送禁止用語がピー音で消されることを bleep censor と言い、four-letter words など、dirty words が対象となることが多いが1920年代に初めて適用されたのは「避妊」だったそうだ。性格の悪い最低男を指す asshole もピーが被せられるが、最近消費者向けの開発が終了したといわれる Google Glass のユーザーガイドには Don’t be a Glasshole. という注意書きがあって、果たしてこれはテレビで言うと消されてしまうのか、ちょっと気になる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年2月号掲載)

羊を巡る片言の冒険

 ある時パリからの帰国便に搭乗すると揃いのジャージ姿で細マッチョのお兄さんがうようよしている。みんな背が高くてかっこいいので隣の席はどんな人かと楽しみに向ったら、お腹まわりがどう見てもアスリートではないおじさんが同じジャージを着て座っていた。彼の片言の英語によるとこの一団はサッカーのパラグアイ代表チームでご本人はチームドクター。なるほど、ひっきりなしに選手たちがやってきてはびっくりするほど大きな錠剤を受け取って行く。ドルミールと言いながら重ねた両手を頬に当てて首をかしげて(おじさんが!)見せてくれたので、どうやら睡眠導入剤のような物らしい。

 食事のメニューの一つを指さしてこれは何だ?と聞くので見ると lamb 子羊と書いてある。Baby sheep だと答えると What is sheep? … ああ、そこからか。手元にブランケットがあったので、これはウールで出来ている、ウールは羊から取れる、と説明すると、ああ、あのベ~と鳴く奴ね、と納得してくれた。ちなみに英語圏では羊や山羊はメ~ではなくバ~だ。

 眠れないときに羊を数える count sheep to sleep という話と一緒に one sheep, two sheep… と、単複同形であることを教わった人も多いと思う。子羊のほうは one lamb, two lambs と普通に複数形の s がつく。食用に供される羊肉は子羊なら不可算名詞の lamb、生後12か月を超えると mutton と、何とも不規則なことだ。

 南米でも羊を数えるのか聞いてみた。相手の片言英語とさらに片言の私のスペイン語、あとはユニバーサル言語のおねむジェスチャーとメ~、グ~など擬音の勝負だ。”Uno sheep, dos sheep, tres sheep …, zzz…?” ”Si,si,si! ベ~、ベ~、ベ~、Zzz…” 傍から見ていたら爆笑ものだったに違いない。幸いなことに周りのサッカー選手たちはドクターの薬のおかげで羊の助けを借りることもなく、深い夢の中 fast asleep だった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年1月号掲載)