困ったトロールたち

 思い入れのある小説が映画やドラマになると、何となく嬉しく誇らしい気持ちを覚えることもあれば、それまで抱いていたイメージとの間にギャップを覚えることもある。私にとって初めてのそんな経験はムーミンだった。田舎の小さな小学校のちんまりとした図書室の一角にフィンランドの女流作家トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズがひっそりと並んでいた。夢中になって読んだ不思議な生き物たちの世界を幼いなりに頭の中に描いていたのだろう。大人気になったアニメだがその映像に違和感を覚えてのめりこめなかったのを覚えている。

 主人公の名前はムーミントロール。トロールとは北欧の妖精とか精霊を意味していて、小人だったり巨人だったりいろいろな姿で描かれるが基本的に不細工だ。オリジナルムーミンも日本のアニメのようなお目めぱっちりではないのでますます間延びしたカバっぽいのがご愛嬌だった。そんな思い出があるので私の中ではトロールとは愛すべき存在だったのだ。ところが、である。

 いつの間にか全くかわいげのないイメージが定着してしまっているのだ。特許関係の会議のために勉強していて知ったのが patent troll、特許不実施主体 Non-Practicing Entity の別名だ。何らかの方法で手に入れた特許を商品化するのではなく大手企業を特許侵害で訴えるという手段で手っ取り早く monetize 金にする輩への蔑称で、自国へ未進出の企業の商標を取得して、後に真の権利者に買い取らせる trademark squatter と並んで健全なイノベーションや商取引を阻害する嫌われ者だ。

 インターネットの世界で跋扈するトロールは挑発的な provocative 書き込みなどでサイトの炎上 flaming を引き起こす「荒らし」のことだ。今年生誕100年を迎えた故トーベ・ヤンソンも、これには天国でため息をついているかもしれない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年12月号掲載)

一言余計か、足りないか

 管理職研修のグループ演習で、日本人6人に来日間もないアメリカ人が1人混ざった班ができ、日本語はウィスパリングで、彼の英語は逐次で通訳することになった。議論は楽しく盛り上がったが、班としての結論に彼の意見は通らなかった。議長役が「皆さんこれで大丈夫ですか?」さらに彼にも Are you all right? 虚を衝かれた様子のアメリカ人に通訳者があわてて補足する。He means “Are you alright with this?”

 Are you OK? も同じように間違って使われているのをよく耳にするが、いずれも「具合でも悪いの?大丈夫?」の意味だ。そんなに打ちのめされた様子に見えたのか、と彼はびっくりしたのだ。相手が日本人の英語に慣れていないとむっとされる可能性もあるので、たかだか2語だが最後の with this を忘れずに。

 国際会議の最終日、お別れ夕食会で仕事の終わった通訳者と数カ国の事務局スタッフが10人ほどで同じテーブルを囲んだ。和気あいあいと裏話の交換などしている中、向かいに座った女性が少し飲みすぎたのか、他人の気に障る発言を連発し始めたが、まあ疲れていることだし、とみんな大人の対応で受け流していた。やがて卓上のワインがなくなりどれを頼もうか、と水を向けられた彼女が I’m easy. どちらでもかまわないわ、と言い放ったとたん、私の隣にいた2人の男性が小声で ”She’s easy.” と顔を見合わせにやっと笑った。それまでの彼女の様子を annoying うざったいと思っていた彼らが「尻軽だってさ」と悪態をついてこっそり憂さを晴らしたのだ。 I’m easy to please. と最後まで言えばこんな陰口を言われなくてもすんだのに、たった2語を惜しむものではない。

 逆についつい余計な言葉を付け加えてしまう間違いもある。なんだか元気のない同僚に What’s the matter with you? これでは「おまえ、どうかしてるよ」と非難してけんかでも売っているようだ。相手を心配する時は What’s wrong?/What’s the matter? で止めて、間違っても with you をつけてはいけない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年11月号掲載)

天使の分け前

最近強いお酒の消費が減ってきているとも聞くが、それでも根強いファンを持つのがウィスキー。その発祥の地と言えばスコットランドだ。スコッチウイスキーには大きく分けてシングルモルトとブレンデッドがあるが、後者の代表格ジョニー・ウォーカーのブランド・アンバサダーと昔、何度か仕事をしたことがある。バーやホテルで催されるテイスティングの会だ。

ブレンドに使われている代表的なシングルモルトの味を覚えてもらい、最後にジョニ黒の中にその特徴を見出そうという味覚も知性もくすぐられるイベントだった。「本場ではウィスキーを生で飲まない。少量でも水を加えることで化学反応が起こり本来の香りが目を覚ます」「ワインと違い味と香りが一致するので、ブレンディングは鼻で行う nosing」など、話したくなる豆知識も満載だ。

伝統的なキルト kilt の衣装に身を包みバグパイプを大音量で演奏しながら登場した髭のおじさんが、正装では下着を付けないのですぞ、と、前列の女性の頬を赤らめさせる。そんなお茶目な彼の自己紹介はいつも「応援するサッカーチームはスコットランドと、イングランドの対戦相手」だった。楽屋裏でも「人の国の女王の首を刎ねるなんて、とんでもない蛮行だ」とまるでついこの間のことのように憤慨していたのが、1587年のメアリー・ステュアート処刑の話。昔過ぎてついていけないが、先日の国民投票で独立派が急速な盛り上がりを見せた背景には草の根レベルのこんな過去へのこだわりもあったのかもしれない。

ちなみにスコッチは蒸留後にオークの樽で寝かせることで個性が生まれるが、その熟成期間中、樽の中身は毎年2%くらいずつ蒸発していく。これを Angels’ Share 「天使の分け前」と呼ぶ。スコットランドの空にはほろ酔い加減の天使たちが機嫌よく漂っているのだそうだ。想像するとちょっと可愛い。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年10 月号掲載)

通訳者が沈黙するとき

 同時通訳中の会議通訳者が沈黙するのはタブーだと言う見解がある。でも英語が国際語になってしまったことで訛りの幅はとてつもなく広がってしまったし、日本語には同音異義語 homonyms が多いので文脈 context にあった言葉の判断に時間がかかることもある。私は本当に理解不能な時はちょっと黙って聞くことに集中した方が訳出精度は高くなると考える派だが、通訳音声を聞いている方々にとっては放送事故とも感じられるのだろう。では、ミーティング等ではどうか。

 通訳者の仕事は「何でもかんでも訳す」ことではない。その存在がなければ十分な意思疎通ができない二者(以上)の間に立ってコミュニケーションを成立させることこそが使命であるから、介在しなくても「通じ合っている」場面では私は喜んで沈黙する。最近では自己紹介くらいは英語で堂々とこなす日本人が多いので、名刺交換の時はにこにこ見守る程度のことが増えてきた。会議の席に着いてからも「通訳は大丈夫です」とおっしゃったり、通訳を遮るように英語で会話を続ける方もいらっしゃるが、20分もたった頃に「今までの話、皆に訳してあげて」とでも言われない限り、通訳者的には何の問題もない。

 困るのは「大丈夫です」が全然大丈夫ではなかった場合だ。こちらの CEO が話し続けている間はうんうんと頷いていたのに、投げかけられた質問に対する答えがとてつもなくとんちんかん…。「日本企業は海外の新規技術の採用に時間がかかると言われてきたが、最近はどうか?」という問いに「日本発の技術が世界的に普及する例がまだ少なく…。」

 分かっているふりだったのかつもりだったのか判別しようが無いが、かみ合っていないことだけは確か。些細なことなら良いのだがさすがに看過できない場合もある。通訳者が「いえ、そういう意味ではなくて…」と訂正に入ると角が立つ。そんな時は通訳者感をいっさい消して、まるで会合の参加者のように「逆方向はどうなんでしょうね?」とつぶやいて軌道修正を図る、という技も持ち合わせているが、…… 出来ることなら使いたくない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年9月号掲載)

相槌の正体

 最近の会議で時々あるのが「感想や質問を#(ハッシュタグ)xxxでつぶやいてください」という主催者からの呼びかけだ。ツイッターの機能で同じ#のつぶやきをまとめて閲覧できるので、会場の人たちと声を出さずに気持ちを共有したり、主催者としてもアンケートを取ることなく反応を量ったり、パネルディスカッションの最中であればリアルタイムで質問を拾い上げたりできる。このようにメインのプレゼンテーション以外で行われるコミュニケーションをバックチャネルするという。他のオンライン手法でも構わない。

 昔は back-channeling と言えば外交で裏ルートを使うこと意味したそうだ。交渉のためのメインのルート main channel があって、その裏に…ということなのだが、back には背後や裏と同時に逆方向に遡るという意味がある。そこで言語学的にはメインの話者が発話しているのに対して関心があることを示すために逆方向に発話をする「相槌」という意味になる。短い音や言葉で先を促すコミュニケーションの潤滑剤だ。

 気を付けたいのは一つ覚えのように同じ相槌を繰り返していると気のない返事に聞こえてしまうことだ。 I see. や Is that so? ばかりを多用していると心ここにあらずの感が否めない。相手の話に合わせて、そうなんだ Oh, really? (上がり調子も下がり調子もあり)、そうだよね I know!(ぁぃのーぅと know に強調を置くのがコツ)、凄い Awesome! うそでしょ You’re kidding. などバリエーションを持たせたい。

 ただしこれらは文脈さえ正しければどんな文章にも使えるある意味 generic な反応だ。ランチから戻った同僚から I tried unagi for the first time. と報告されたら Did you, really? と動詞と時制を合わせて応えると会話ががっちりかみ合う。The weather in Atami was gorgeous over the weekend. – Was it?  Sachiko’s waiting for you. – Is she? 何を隠そうこれが間髪入れず自然にできるようになった時には英語のレベルが一段上がったような気分になったものだ。お試しあれ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年8月号掲載)