アイラブユーのL

 テニスのカウントは0をloveと言う。 ”Love all!” は「万人を愛せよ」ではなく0対0、野球で言うならプレイボールのことだ。語源はフランス語の卵l’oeufで無声音の f が同じ口の形で有声音の v に入れ替わったと言うのは納得がいく。では r が l になることがあると言ったらどうだろう。

 日本語には l と r の違いがないので聞き分けられない人が多い。ある意味日本人にとっての永遠の課題、ネイティブ・スピーカーに言わせると「全く別の音」・・・。ところが!音声学的には両方とも流音と呼ばれる類似性を持った音で違いは舌の位置だけなのだ。そこで不思議な現象が起こる。

 ケンタッキー・フライドチキンでおなじみカーネル・サンダース。カーネルは名前ではなくアメリカ南部では尊敬と親しみを込めた「おじ様」的な敬称として用いられる大佐 Colonel なのだが、なんとこの単語、一つ目の l は r で発音するのだ。もともと古いフランス語で当時は l と r の二つのバージョンがあり、結局スペルは l 発音は r という折衷案に落ち着いたらしい。本家フランスでは両方とも l になった。このような現象を異化作用 dissimilation と呼び、大理石の marble も、フランス語の marbre からの異化。そう考えれば l と r を区別できずに落ち込む必要はないのである。

 ちなみに r の発音は簡単だ。昔懐かしいジャイアント馬場の物まねで「アッパ~」と言ったときの最後のくぐもった音がそれなので誰でも出来る。逆に日本人には l が発音できない人が思いのほか多い。もともと似た音だから区別が難しいのだと安心していただくのはかまわないが、それでもやっぱり l の発音は出来たほうがいい。だって ”I love you.” のつもりが ”I rub you.”「私はあなたをこする」になってしまったら、ちょっと格好がつかない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2009年11月号掲載)

×はバッテンにあらず、○は・・・?

 海外から講師を招いて行われる様々なトレーニングを通訳することがある。役員研修だったり、セールス・トレーニングだったり、認定試験を受けるための勉強会だったりと様々だが、hands-onと呼ばれる参加型の演習を含むことが多い。ある会社のリーダー研修では事例研究case studyを多数使用するのだが、どうやら聞き取れなくても読めるだろうという前提らしく、事例の説明や背景資料が英語のままだった。

 参加者が辞書を引き引き苦労している横で通訳者も同じものをもらって読んでいたら、おっと、これは誤解を生むぞという表記にぶつかった。ある出来事の次第をまとめた表で、商取引の日付や当事者の名前等に続いてキャンセル通知という項目のところに×と書かれている。日本人なら間違いなく「無し」と解釈するところだが、実はこれ「レ」のような形をしたチェックマークと同じものなので「有り」が正解なのだ。よけいなお世話かと思ったが主催者に進言してアナウンスしてもらったら、案の定、会場がどよめいた。そういえば日本では試験の採点でも間違った答えにチェックマークをつけるが、アメリカなど多くの国では正しい答えにつける。○をつけたところは間違っているので注意しなさい、の意味になるのだ。ああややこしい。

 海外製の湯沸かしポットやプリンタなどに時々使われているシーソースイッチには○と|が書かれていて、どちらかが常に押し込まれ反対が浮き上がる形をしている。日本人的には○がオンのような気がするのだがさにあらず、|を押すとオンで○はオフになる。どうも直感に反している気がしてしょうがないが、これは元々二進法で0と1、電源投入無しと有りから来ているのだそうだ。

 ちなみにおなじみゲーム機のコントローラのボタンも、あろうことか海外版では×が「選択」で○が「キャンセル」。英語のサポートサイトには、「アジアで買ったゲーム機は○と×が逆です」という注意書きがあったりする。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2009年10月号掲載)

カエルとオオトカゲ

 しばらく前の話になるが、telcoとかキャリアcarrierと呼ばれる電気通信事業者のプレゼンテーション資料で何度か蛙のイラストを目にすることが続いた。leapfrogの象徴である。leapは飛ぶ、frogは蛙。でも蛙跳びではない。子供の頃お互いに丸めた背中を跳びあった馬跳びのことだ。二人でする様子から「ぬきつぬかれつ」の意味があるが、 キャリアが言いたかったのはそれとは違う。

 日本や米国などいわゆる先進国の通信は、固定回線をひき、何度も中継しながらその距離を伸ばして通信網を構築する固定電話から始まっている。1976年にグラハム・ベルが発明した電話は、翌年にはすでに日本に輸入され、さらに1年後には国産電話機1号が制作される。交換手が自動交換機に変わり、さらにそれがデジタル化し、やがて携帯電話が導入される頃には固定電話はほぼ全ての世帯に普及していた。

 一方途上国では都市部にしか固定通信網のインフラがない。それどころか送電網さえ無い地方もある。そこで携帯電話がleapfrog technologyとして登場する。固定電話を飛び越えて、いきなり携帯電話を普及させるのだ。全ての家庭に電話線を引くよりはよっぽど安く済む。もちろん電気がなければ機能しないので、送電線がなければディーゼル発電機を使う。日照時間の長いインドやアフリカの各地でそのディーゼル発電機が送電網を飛び越えて太陽電池PV photovoltaic cellsに置き換えられようとしているのもleapfroggingだ。

 日本の携帯は高機能すぎて独自の進化を遂げたガラパゴス携帯だと揶揄されることがあるが、オオトカゲやゾウガメのように泰然とわが道を行ってかまわないのではないかという気がする。普通のテレビをワンセグが飛び越えるなんていうことも、ひょっとしたらあるかもしれないのだから。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2009年9月号掲載)

あの手この手

 あるアメリカの保険会社のCEOが来日し、やれマスコミのインタビューだの表敬訪問だの社内会議だので大忙しのスケジュールをこなしている中、ある日の午後、何故か3時間ほどぽっかりと時間が空いた。ひっきりなしのミーティングが続いた後だったので、ホテルに帰って休みたいか、と秘書に尋ねられた彼は高らかに”I want to get manicured!”と宣言。さては女装趣味に目覚めて爪を赤く染めたいのかと周りにいたスタッフを慌てさせたが、実はその心は「爪の手入れをしてもらいたい。」アメリカ人のエグゼクティブの多くが身だしなみの一環として爪の表面をきれいに磨いていることをご存じだろうか。

 maniはラテン語で「手」を意味する。手をケアするのがマニキュアというわけだ。マニで始まる言葉と言えば最近はやりのmanifesto。元々イタリア語で、物事を明らかにすると言う意味のmanifestから来ているが、さらにその語源をたどると「現行犯で捕まる」”caught red-handed” なのだそうだ。殺人現場で手を血で真っ赤に染めていたら、明らかに犯人。政治の世界でも公約違反があったらしっかり犯人探しをしてこそ、本物のマニフェストということだろうか。

 ある会議で女性が議長に選出された。それまで発言を求めるのに”Chairman!”と声を上げていた参加者がふざけて”Chairwoman”と呼びかけたのを、一人の紳士がたしなめた。曰く「chairmanのmanは男性のことではなくラテン語の手。すなわち椅子を手で持つ人が語源なので性別は関係ないのですよ。」会場の参加者もブースの中の通訳者達もほおと感心したものだ。でもこんな博識の士がどの会議にもいるわけではないので、女性の議長が増える中、語源的には誤用のchairpersonがはびこり、さらなる短縮形まで現れた。”Chair!”と叫ぶ人がいたら決してあなたが椅子に見えているわけではなく「議長!」と呼びかけているのだ。ただあなたが議長でない場合は・・・はて?

(「毎日フォーラム 日本の選択」2009年8月号掲載)

あれもウィルス、これもウィルス

 「いつか来る」と言われ続けてきた新型インフルエンザ。ここ何年もその大本命はH5N1型鳥インフルエンザavian fluだったがそれを抑えていきなり表舞台に現れたのがH1N1型豚インフルswine fluとは、とんだダークホースだ(豚だけど・・・)。ウィルスを無力化neutralizeすることをうたったプラズマクラスターのメーカーから技術検証を依頼された英国の研究者が、その結果を発表するため昨年夏来日したが、その時の話題も強毒性のH5N1一色だった。

 コンピュータの世界にもメールやファイル共有で感染して悪さをするウィルスや、自己増殖して広がっていくワームなどが存在するが、それとは性質の異なるウィルスもある。その名もバイラル・マーケティング。viralはvirusの形容詞形だ。

 今や最大の広告媒体は新聞・雑誌でもなければテレビ・ラジオでもない、ウェブだ。その手法がバナー広告に限られていた頃は効果を疑問視する向きも多かったが、やがて検索連動広告から収益をあげるGoogleのビジネスモデルが成功、さらに広告効果を測定する方法や従来の媒体とは全く異なる広告手法が開発される。そして今最小限のコストで当たれば大きいと注目されるのがSNSや掲示板での消費者の口コミを利用しようとするviral marketingなのだ。企業から発信される情報よりも自分と同じ立場の消費者が発信する情報を信頼したくなる心理をよく突いている。ただ、企業からインセンティブをもらって情報発信している一般人がたくさんいるので、受け取る側も過信は禁物、ウィルスだけに感染には要注意。

 ところで通訳業界にはしばしばドタキャンが発生する。2003年春のSARS騒ぎではたくさんの会議が取りやめや規模縮小となったが、今回も新型インフルエンザが原因で講演者が来日を見合わせ、通訳が必要なくなってしまった会議があった。そんなキャンセル案件を、私たちは「ブタキャン」と呼ぶ。 

(「毎日フォーラム 日本の選択」2009年7月号掲載)