誤訳の効用(1) 品質管理

競争戦略論の第一人者であるハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授が、ポーター賞授賞式講演のため来日した。1947年生まれの60歳だが、「同じ講演を3000回はしているだろうにこの情熱はどこから来るのか」と招聘者である一橋大学院の竹内弘高教授が苦笑するほどエネルギッシュだ。ポーター賞は独自性がある優れた戦略を実行し、その結果として高い収益性を達成・維持している日本企業を表彰するために2001年に創設されたが、まだその 50年先輩にあたるデミング賞ほどの知名度はない。

 アメリカ人に聞いてもほとんど誰も知らなかったデミング博士の提唱した“quality control”を、「品質管理」と訳し、賞までもうけて、実にまじめにその遂行につとめた結果、かつて日本は世界に冠たる品質王国になった。本来QCとは比較的単純なコンセプトで、製造現場において標準化された部品を手順を守って設計通りにきちんと作る、という言わずもがなの内容だった。「品質制御」と言った方が近かったかもしれないのだが、これが「品質管理」と訳されたとたん日本人のイマジネーションが爆発した。「管理」とは「制御」より、遙かに幅の広い意味を持つ言葉なのだ。

 QCサークルなる小集団活動を生み出し、さらにそれを製造現場にとどめずに、経理や人事、総務などあらゆる部門、ひいては製造と縁のない業種の企業にまで広めたのは、「品質管理」という誤訳にインスピレーションを受けた日本人の発明だ。こうして日本版QCは幅においても深さにおいてもオリジナルを遙かに越えて一人歩きした結果、一時期の日本経済の隆盛を招く。誤訳の効用である。しかし間もなくこの誤訳に気づいたアメリカの逆襲が始まる・・。(続く)

(「毎日フォーラム 日本の選択」2008年4月号に掲載)

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