高校時代に留学したアメリカの高校には2色のスクールカラーがあり green & gold と説明されたのが緑と山吹色だった。子供の頃から慣れ親しんだ折り紙セットに入っている金ぴかがゴールドだと思っていたのでこの色感覚の違いには軽いカルチャーショックを感じたのを覚えている。
学生時代に学んだ英語にシェークスピア由来の All that glitters is not gold. があったが、トールキンは「指輪物語」でこれを逆説的に使い All that is gold does not glitter. 「すべての金が光るとは限らない」と書いている。才能・人徳・真の価値などを内に秘めている人がいる一方でうわべだけ取り繕われた物もある。どちらも普遍の真理だろう。
金そのものに対して golden は金色あるいは金のような大きな価値を持つことを表す形容詞で、千載一遇のチャンス golden opportunity とか金の(卵を産む)ガチョウ golden goose あたりがおなじみかと思う。沈黙は金 silence is golden も早くに習った覚えがあるが若干説教臭い。ユーモアを交えておしゃべりをたしなめたい時には金とは関係ないが You have two ears and one mouth for a reason. というギリシャ時代のストア派 Stoic 哲学者エピクテトスまで遡る表現がある。これを two years and one month と聞き違えて何が2年と1か月なのかと目を白黒させている人を見たことがあるが「口が一つなのに耳が二つなのには訳がある」という意味だ。
企業の社長や重役クラスが退職するときの多額の退職金やその他手厚い手当を含む retirement package は golden parachute と呼ばれる。日本特有の天下りがしばしば parachuting と説明されるので、不祥事の責任を取って辞めたはずの日本の会社幹部が天下りしていたことが明らかになると海外メディアで盛んに見出しに使われる。金のパラシュートを背負わせてもらう人には中身も金であってほしいものだ。
(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年5月号掲載)