Ladies Merely Glow 汗にまつわる表現

 この夏は記録破りの猛暑で尋常でない暑さだったから外に出る時間の長い人たちはきっとたくさん汗をかいたに違いない。「汗びっしょりだよ」 I’m soaked with / drenched in sweat! と嘆くのが日常化してしまったかもしれない。

 ある年輩の女性翻訳者は若い頃しばらく英国で暮らした。ある夏の日、暑い中を急いで英語の先生の元に向かい着いた時には汗だくだった。I’m sweating! と外の暑さを表現したところぴしゃりと言い放たれた。”Only horses sweat. Ladies perspire.” 「馬じゃあるまいし、淑女なら発汗しているとお言いなさい。」

 北米でも若い女性が sweat を使うと Animals sweat, men perspire, ladies merely glow. とたしなめられたりするそうだが、古めかしい Victorian/colonial と感じる人の方が多いようだ。ある男性などは長距離を走った後で You’re sweating! と言われたら誇らしい気持ちになるが You’re perspiring! なんて言われたら馬鹿にされていると思うそうだ。確かに「いい汗かいてるね」という頑張った感は sweat でしか表せない。額に汗する様子は by the sweat of sb’s browと 表現する。

 ちなみに glow とは肌が赤みを帯び汗でうっすら濡れて光っている様子。数年前日本の研究者が運動をした時の発汗は男性の方が多く、女性が汗をかくには体温上昇が必要と言う論文を発表した時、複数の英語メディアがそれを取り上げ見出しに women glow を使っていたのが面白かった。古くさいが誰もが聞いたことのある言い回しということなのだろう。

 ところで sweat shirt をトレーナーと呼ぶのは和製英語だ。英語の trainer はコーチのような人や訓練用の装置、身につけるものであれば運動用の靴のことを言う。対になるトレパンは sweat pants だ。うっかり I’ll wear training pants tomorrow. なんて言わないようにしたい。「おむつを取る練習用のパンツをはくんだ」の意味になってしまうから。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年9月号掲載)

他人の靴で歩く距離

 「いつやるか?今でしょう!」で一躍時の人となった東進ハイスクール講師の林修先生が、子育てに悩む母親達相手に子育て論の授業を行うというテレビの企画があった。何気なく見ていたのだがさすが有名予備校の人気講師、なかなかの説得力だ。でも参加者の言葉の端々に「子育てしていない人に言われても・・・」的な感想が見え隠れし、やっぱり未経験者の言うことは簡単には納得できないのだなと再認識した。でもそれって、ちょっと残念なことだ。

 シンパシー sympathy という言葉がある。他人の立場を理解して同情したり支持したいと思う感情を指す。英語では良く Try and put yourself in his shoes. 「彼の身にもなってみたら」と靴を使って表現する。ところが人間の共感能力はそこでは止まらない。エルビス・プレスリーは靴を履かせるだけでは不十分とばかりにそのまま1マイル歩け Walk a mile in my shoes. と歌った。

 求められているのはより高次の共感、感情移入に近い empathy である。小説を読んだり映画を見たりした時に、実際に経験したことのないことでもあたかも自分の体験であるかのように感じられる能力、このイマジネーションこそ人間が人間たるゆえんであり、これこそ子育て中のお母さんに是非信じて欲しい人間のポテンシャルなのに、と私は思ったのだ。

 とは言うものの、何の背景もなしに共感するのは確かに難しい。(林先生だって職業上、色々な母親の子育ての成果物=思春期の受験生を日々相手にしているからこその説得力だろう。)そこでアメリカで10数年前に始まったあるイベントがある。その名も Walk a Mile in Her Shoes。女性への暴力撲滅と被害者支援を目的に男性がハイヒールを履いて1.6キロを歩くというチャリティ・ウォークだ。ちょっと笑える彼らの姿に、まずは歩いてみてからものを言う、もう未経験とは言わせないという男らしさを感じる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年8月号掲載)

私はどこ?!

 大学時代の話になるが、友達同士でたわいもない話をしたり学生らしくちょっとは哲学的な議論をしたりするうちに、形勢が悪くなると安っぽいドラマの真似をして記憶喪失よろしく「私は誰?ここはどこ?」で笑いを取ってお茶を濁す、と言うのが流行ったことがある。さらに混乱している様子を表すのに両者の関係を入れ替えて「私はどこ?ここは誰?」と日本語的には成立しない文で落とすのが定番だった。

 そんな時に私がこっそり面白いと思っていたのは、これらの最終形を直訳すると英語ではちゃんと意味をなす makes perfect sense ことだった。Who is here? は「ここは誰」ではなく、誰がここに来ているのかを尋ねる疑問文として成立するし Where am I? こそ「ここはどこですか」を正しく表している。

 日本人はこれをよく間違って Where is here? と言ってしまうのだそうだ。でもこれでは「さっきから言ってる here ってどこの事?」という確認の意味しかない。ここがどこかを知りたい時はまさに「私はどこ(にいるのですか)」と尋ねないと通じない。何故なら英語の発想では「ここ」というのは今自分がいる場所を指すからだ。英語は結構、人間中心なのである。

 ご職業は?と尋ねたい時、ついつい What is your job? と言いたい衝動 temptation に駆られるが、これではダイレクトすぎるし文脈によっては「この会社で何をしているの(役に立ってるの)?」と聞こえかねない。やっぱり相手を中心に考えて What do you do? と聞く方がずっと感じが良い。同様に「お住まいは?」は Where do you live? 「ご趣味は?」は What do you do for fun? で house も hobby も登場頻度は低い。

 ただし Why 文には要注意だ。来日目的を尋ねるのに Why did you come to Japan? では詰問調でまるで警察官の職務質問みたいだ。何よ、来ちゃいけなかったの、なんて思われないためにも、ここはエレガントに What brings/brought you to Japan? で行こう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年7月号掲載)

チャレンジします?!

 ある会社の決起大会 a kick-off meeting で社員がそれぞれ決意表明をする場面があって、一人の日本人の営業マンが声高らかに ”I want to challenge my quota!” と宣言した。日本人の管理職の皆さんがうなずく中、外国人の役員は当惑した様子でお互い顔を見合わせている。何があったのかお分かりだろうか。

 人生最大の挑戦 the biggest challenge of my life のようにぴったり来る表現があるので挑戦=challenge の公式が定着してしまったのかもしれないが、実はこの両者、視点が違う。人生最大の挑戦をするのは自分、でも英語の challenge はその挑戦の対象となる難関を指すからだ。直訳すると不自然になるので別物だと思って語法を覚えた方が安全な言葉の一つだ。

 日本語のチャレンジは多分に精神論的ポジティブな意味合いで使われるようだ。ハードルは高いけどとにかく頑張ってみます、というチャレンジ目標 stretch goals、ダメモトでプロスポーツの入団テストにチャレンジする tryout、未知なる世界への挑戦 sail in uncharted waters 等々、何かを実現するための挑戦だ。

 一方英語で a challenge to world peace 世界平和への挑戦と言う場合、世界平和を脅かすもののことで、それを確立しようとするものではない。元来言いがかりや非難を意味していて、それが試練、挑戦、難題と時代を追って定義が増えたり変わったりしてきたのが challenge なのだ。  

 そこで動詞になっても人が相手の場合、挑戦状を叩きつけるような意味合いになる。She challenged her boss to prove her incompetence.「私が無能だというなら証明して見せなさいよと詰め寄った」という感じ。また目的語が人以外の場合は We must challenge the fairness of your statement.「発言の公平性に疑問を唱える」というように正当性を疑う意味で使う。つまり件の営業マンは「ノルマに挑戦します」と言おうとして「ノルマに異議あり!」と言ってしまっていたのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年6月号掲載)

ご機嫌いかが?

とある日本の会社の会長さんはなかなか手強い人物 hard to please らしい。表敬訪問に向かう車中で聞かされてちょっと不安になったが、幸い杞憂に終わった。クライアントの社長がアートに造詣が深いことをさりげなくアピールした上で先方の会社のコレクションを褒めるという高等戦術で満足げな笑顔を引き出すことに成功。That was brilliant! と褒めると本人も I humored him well, didn’t I? と嬉しそうだった。

この humor だがユーモアだけでなくその時の気分を表す言葉で She’s in good humor.「ご機嫌だね」とか He is ill-humored.「ご機嫌斜めだ」のようにも使う。(ギャグを連発しているわけでも冗談が分からないわけでもないことに注意)。動詞として使うと、持ち上げて喜ばせる、機嫌をとるという意味になるのだ。

英語には機嫌が悪いことを表す表現がたくさんある。ディズニー版の白雪姫に出てくる不機嫌なこびとの名前にもなった grumpy、ちょっとしたことでイラッとする irritable、何かに怒っているらしい cross、すねた様子の sulky等、形容詞だけでも挙げればきりがない。不思議なのが crabby で、どうして蟹?と思ったら、横に歩くし爪を振り上げるし持ち上げようとするとしがみついて抵抗するし・・・、で偏屈な頑固者のレッテルを貼られている模様。ちょっと気の毒だ。

Are you having a bad hair day? は「どうしても髪型がうまく決まらない日なのね」、転じて「ご機嫌斜めのようね」となる。He must’ve gotten up on the wrong side of the bed.ベッドの左側で目覚めると縁起が悪いとされたので、こちらも下手にさわらない方が無難なオーラを出している様子を表す表現だ。

ところで、気分を表す名詞には他に mood があるが、これが形容詞となるといきなりネガティブになる。My boss is moody. は決してムードのある素敵な上司ではない。冒頭の会長さんのように、気分屋でしょっちゅう機嫌が悪くなるボスのことである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2013年5月号掲載)