lineの話

年末年始の休みは年賀状を書き、実績表を更新しているうちに終わってしまった。私も多くの会議通訳者と同様フリーランスなので、実績表を毎年更新して登録しているエージェント各社に送るのだ。去年は会議や記者発表会など210日くらい仕事をしたが、スプレッドシートに案件ごとに書き出したら140行になった。

 表になった1行はrowと呼ぶが、このコラムのような文章の1行はlineという。one-linerと言えば欧米人が大好きな1行ジョークのことだが、他にも様々な用途がある単語だ。例えばbottom line。ヒップラインのことかしら、とにやにやしてはいけません。そういう意味もあるけれど、ビジネスでは企業の利益を指すことが多い。損益計算書の最下行という意味でこう呼ばれる。そこから派生してtop lineは売り上げのこと。top- and bottom-line growthといえば、だれもが待ち望む増収増益となる。

 行間を読むread between the linesは耳にされたことのある方も多いに違いない。”Drop a line.”と言えば短くてもいいから便りを下さい、のニュアンス。自分の決め言葉を誰かに先に言われたら”You stole my line.”とやんわり抗議しよう。line of fireはもともと銃の放火を浴びる場所だが”I’m in the line of fire.”と頭を抱えたら、矢面に立たされたり板挟みになる苦労が上手に伝わる。とりとめなく喋り続ける同僚には”What’s the punch line?”「で、オチは?」

 電話の向こうから”Hold the line.”と言われ、接触が悪いのかと電話線を持ち上げた人がいたそうだが、これは「電話を切らずにお待ち下さい」の意味です。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2008年2月号に掲載)

誤訳の効用(2) 「米国の逆襲」

 自分の強さに自信を持っているときは実に鼻持ちならないが、完膚無きまでに叩きのめされると、逆に潔く相手から学ぼうとするのが、アメリカの本当の強さだ。数多くの学者がデミング賞受賞企業を訪問して研究を行い、その結果日本の「品質管理」は“quality control”ではない、と言う結論に達した。そうして出来た新たな英訳語が“total quality management”すなわちTQM。この理解がアメリカ製造業を再生の道へと導いていく。

 日本の品質管理の心臓部にいまや国際語となった「カイゼン」がある。“incremental improvement”と言うべき小さな改善の積み重ねのことだが「継続的改善」と説明され“continuous improvement”と訳された。そこにはもはや「小さな」という縛りはない。

 日本人が「品質管理」という誤訳に触発されて爆発させたのはイマジネーションであったが、アメリカ人が“continuous improvement”にひらめきを感じて爆発させたのはイノベーションだった。日本人が自らに縛りをかけて小さくまとまろうとするのに対して、アメリカ人は広がれるだけ広がろうとしたのだ。

 ポーター教授も検討委員を務める世界経済フォーラムの国際競争力ランキングで、日本が定位置だった1位の座から滑り落ちたのは1994年のことだ。96年にはトップ10にも入らなくなり、2001年は20位すら逃した。しかしその後V字回復を遂げてここ3年は10位以内に返り咲き、今年は8位とまずまずの健闘ぶりだが、その報告書の中でアメリカは堂々の一位を飾っている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2008年5月号に掲載)

誤訳の効用(1) 品質管理

競争戦略論の第一人者であるハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授が、ポーター賞授賞式講演のため来日した。1947年生まれの60歳だが、「同じ講演を3000回はしているだろうにこの情熱はどこから来るのか」と招聘者である一橋大学院の竹内弘高教授が苦笑するほどエネルギッシュだ。ポーター賞は独自性がある優れた戦略を実行し、その結果として高い収益性を達成・維持している日本企業を表彰するために2001年に創設されたが、まだその 50年先輩にあたるデミング賞ほどの知名度はない。

 アメリカ人に聞いてもほとんど誰も知らなかったデミング博士の提唱した“quality control”を、「品質管理」と訳し、賞までもうけて、実にまじめにその遂行につとめた結果、かつて日本は世界に冠たる品質王国になった。本来QCとは比較的単純なコンセプトで、製造現場において標準化された部品を手順を守って設計通りにきちんと作る、という言わずもがなの内容だった。「品質制御」と言った方が近かったかもしれないのだが、これが「品質管理」と訳されたとたん日本人のイマジネーションが爆発した。「管理」とは「制御」より、遙かに幅の広い意味を持つ言葉なのだ。

 QCサークルなる小集団活動を生み出し、さらにそれを製造現場にとどめずに、経理や人事、総務などあらゆる部門、ひいては製造と縁のない業種の企業にまで広めたのは、「品質管理」という誤訳にインスピレーションを受けた日本人の発明だ。こうして日本版QCは幅においても深さにおいてもオリジナルを遙かに越えて一人歩きした結果、一時期の日本経済の隆盛を招く。誤訳の効用である。しかし間もなくこの誤訳に気づいたアメリカの逆襲が始まる・・。(続く)

(「毎日フォーラム 日本の選択」2008年4月号に掲載)

かわいい中国語

 中国発の百度(バイドゥ)という会社が日本でも本格的に検索サービスを始めた。もともとダブルバイト(全角文字)文化なので日本語のテキスト検索もさくさくと速いが、画像検索や、日本では著作権問題があるので当面行わないmp3ファイル検索を得意としている。その記者発表会は、社外取締役の出井伸之前ソニー会長が参加していたこともあってか、大盛況だった。サイトにも社員の名刺にも入っている百度のロゴは、パンダの足跡をフィーチャーしていて、なかなかかわいらしい。

 発表資料に競合とのシェア比較があって、そこで見つけたのが「雅虎」で、これはYahoo!のことだった。ちなみにGoogleは「谷歌」で両方とも音から漢字にしている。音ではなく意味から漢字を当てた秀逸な例としてOracleの「甲骨文」がある。

 ゴールドマン・サックスが経済成長著しいブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国を指したBRICsはあっというまに世界に広がったが、これを中国では「金磚四国」と言うそうだ。「磚」はレンガをさす漢字で、音からbrick(レンガ)とをかけたもの。なんとインテリジェントな訳語だろう、とため息が出る。日本語にはカタカナという外来語専用の便利な文字があるので、ある意味私たち日英の通訳者は甘やかされているところがあるのだが、中国はきっちり当てはまる自国語を作ろうとするところが偉い。

 それで思い出すのが2000年問題だ。英語ではY2Kと呼ばれていたがもう一つの呼称があってそれが ”millennium bug”。中国語では「千年虫」と訳されていた。これも、ちょっとかわいい・・・?

(「毎日フォーラム 日本の選択」2008年3月号に掲載)