愚痴るとディスるの共通点

去年の日本シリーズ覇者の日ハムが絶不調で低迷する中、流行語大賞「神ってる」を受賞した広島カープは今年もすこぶる好調だ。この「神る」だが「神がかる」の短縮形と見るよりは「○○+る」という昔からある動詞化の一例と考える方が、軽くて今っぽい若者言葉というニュアンスの説明がつけやすい。告白するが「告る」拒否するが「拒否る」にはたった一音を惜しむなとも思うが中には「キョドる」のように挙動不審に振る舞うから大幅削減の強者も。

自由度の高い若者言葉から生まれることが多いが一般に定着すると辞書に収載されるものも出てくる。そもそも日本語の発展における「○○る」の歴史は江戸時代にさかのぼるほど古いのだそうだ。今では当たり前のように使われる「牛耳る」「皮肉る」「愚痴る」はいずれも「名詞+る」の形で大正時代に定着した当時の新語、「ダベ(駄弁)る」は明治時代の学生が使っていたという記録がある。

外来語やその略語から派生したものも多い。学生時代留年の意味で「ダブる」「ドッペる」と日本語の動詞のように使っていたのは英語の double とドイツ語の doppeln だし「ポシャる」はフランス語の chapeau 帽子の倒語だ。兜を脱ぐ、脱帽するから駄目になることを指すようになった。「タクる」や「ハモる」「トラブる」からは昭和感が漂うが今でも立派に通用する。

ここ20年くらいの新種も多い。検索するより「ググる」google の方が使用頻度が高くなっていないだろうか。話題になると「バズる」make a buzz, go viral、アプリの不具合は「バグる」be buggy、最近認知度急上昇中の「ディスる」は英語でも Are you dissing me?「俺のことディスってる?」とそのままだ。

ちなみに私たちのちょっと前の世代で盛んだった「アジる」は語源の agitate で良いが「サボる」の英語 sabotage は破壊活動のことなので、うっかり使って会社を操業不能に追い込んだものすごく過激な人になってしまわないようにしたい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年8月号掲載)

通訳者の受難と救いのグッズ

遠い遠いザンビアはリビングストン、ビクトリアの滝周辺の国立公園内に位置するリゾートホテルの会議会場で4か国語の通訳者たちを待っていたのは掘っ立て小屋のような通訳ブースと見慣れない装置だった。流石に国際会議慣れしている主催者のオーダーなので必要な数のブースと通訳音声チャネルは確保されているのだが、なぜか通訳者用ユニットは音量調節が出来ず、おまけにマイクごとの音量がばらばらでイヤホンを耳に押し付けるようにしないと(しても)聞こえなかったり逆に耳をつんざくような大声が入ってきたりとまあ大変。しかも当然あるはずの手元灯りがなくブースの中は薄暗い。

途上国では物理的な環境が整っていること自体望むべくもないとはいえ、これでは耳栓と目隠しをして通訳しろというようなもの。ドラえもんのような素敵なお友達がいれば四次元ポケットから必要なものを次々出してもらいたいところだがここはザンビアだ。まあ、日本にだってドラえもんはいないが頼りになるエンジニアさんがいる。

でも今はまず自力で資料の読めない暗さを何とかしよう。こんな時のためにラップトップのUSBスロットから電源のとれるLEDランプを常に持って歩いているのだがそれをパートナーのためにブース内に置きっぱなしにすると自分が自由にPCを使えない。そこでブース内に延長コードを引き、最近購入して今回初めて持参した海外電圧(240V)対応電源タップのUSBスロットにランプを直接差し込むことで灯りを確保。他言語ブースの同僚たちから称賛を浴びた。

次は音だ。ここで活躍したのがスマホにつないで手元で音量調節ができる長さ5㎝ほどの小型のアンプ。現地の装置とヘッドフォンの間に挟むことで音量がコントロール出来て音質も若干改善、完ぺきとはいえないまでも何とか凌げるレベルに。やれやれ、念のための備えはしておくものだ。私は今や、通訳業界のドラえもんと呼ばれている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年6月号掲載)

足と脚

付く、出る、遠のく、地に着かないなど足は慣用句の多い体の一部だが、英語でも便利な表現が多い。She’s got cold feet. は冷え性なのではない。大事なところで怖気づいてしまった、足が竦んでしまったのだ。何かを成し遂げたい時の第一歩は a foot in the door と言う。訪問販売のセールスマンがドアを閉められないように片足を挟む様から来ているので語源的には押し売りっぽく思えるが negative connotation マイナスのイメージなく使える。

Put one foot in front of the other という芸人さんのネタのような成句もある。歩くという動作をわざと分解して歩を進めることを励ます時や順序通りに物事を進めることを強調したい時に使う。最初のボタンを掛け違うと最後に齟齬が生じるがそんな最初の一歩が start off on the wrong foot だ。高いところから落ちた猫が上手に着地する様子からの発想で land on both feet
は首尾よく難を逃れることを言う。

何故足なのか、しかも動詞なのかちょっと不思議なイディオムが to foot the bill だ。勘定を踏み倒すのではない。支払うことだ。It used to be customary for the bride’s parents to foot the bill for the wedding. ちょっと前までは娘を嫁に出すのも大変だったらしい。

「足を棒にして歩く」時の足は I walked my legs off. で feet ではない。脚が中空だったらさぞやたくさん飲み食いしても平気だろうと、うわばみやフードファイターのような人のことを She has hollow legs. また話や訴えに根拠が皆無でとても議論や裁判に勝てそうもないことを not have a leg to stand on と言う。

「彼は足を痛めていて走れなかった」はとてもシンプルな文章だが同通ブースの中で通訳者は悩む。英語は単数複数に厳格なので両足なのか片足なのかという問題もあるが、それ以上に怪我をしたのが足首から下なのか上なのかで単語が異なるのでもう少し情報が入って来ることを祈りながら
He couldn’t run because of his injury.とぼかしてその場をしのぐのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年4月号掲載)

幅広い「マネージする」

世界のあちこちで想定外のことが起こり地震、事故、テロ等の脅威が高まる昨今、preparedness 万が一への備えが欠かせない。リスクマネジメント・ワークショップで講演者と通訳者の打ち合わせに同席したセキュリティ関連会社の専門家は「risk management は訳せない」と力説していた。「リスクはマネージするもの、管理と言ったとたんに範囲が狭くなる。某大学が立ち上げた危機管理学部なんて日本語にしてしまった時点で本質を分かっていない証拠」なのだそう。危機管理とは事後対応、一方リスクは未然に軽減策を取った上で起こってしまったら対応すべきものだ。

「うちのマネージャー」も背景を知らないと何をマネージする人なのかが分からない。芸能人や作家のスケジュール管理をしてくれる人かもしれないし、会社の部課長かもしれない。カントリー・マネージャーだったら外資系企業の日本社社長だ。マネージメントとなれば企業の経営陣のこともある。

動詞としてもちょっと面白い。「手伝おうか」と気遣う同僚に「自分で何とかできると思う」とやんわり断る I think I’ll manage, thank you. とか「最後にもう一杯くらいどう?」 Can you manage another beer? とかちょっとしたニュアンスを出せるのが便利だ。He messed up. と失敗の事実を述べるよりありえないほどのへまをした He managed to mess up. の方があきれた感が伝わる。

職業を茶化す cliche 的なジョークの中に有名な教師ネタがある。Those who can, do, those who can’t, teach. 才能がない人が教える側に回る。どうやらバーナード・ショーが出所らしいがウッディ・アレンがさらに Those who can’t teach, teach gym. 教えることもできない人は体育教師になる、と追い打ちをかけたこともある。MBAを取得するためのビジネス・スクール版のもじりでは Those who can, manage, those who can’t manage, teach. と言うそうだ。なるほど経営の才覚があるのならのんびり教えている場合ではない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年3月号掲載)

諺の鳥や虫

諺を外国語に訳すのは難しい。ぴったりはまる表現があれば定番として使うことが多いのだが、それでも「早起きは三文の徳」を The early bird catches the worm. と訳して「わしは鳥なんぞと言っておらん」といわれのないお叱りを受けた通訳者も存在する。どうやらバードは聞き取れてもワームは分からなかったらしいのだが、いずれにせよこの後の話の展開で「得」ではなく「徳」である理由を掘り下げられても面倒なことになるので最近は時間が許せば直訳 Getting up early is 3 cents worth of virtue. も紹介したりする。文化的背景の違いが垣間見えて面白いと割と好評だ。

「出る杭は打たれる」も The nail that sticks out gets hammered down. というほぼ直訳で十分に通じる。ちなみに同じようなことをオーストラリアでは tall poppy syndrome と言うそうだ。花畑で他よりも長く茎をのばしてしまったポピーはその首をちょん切られるのだそうで、どちらも痛そうだ。

鶏口牛後には色々とバリエーションがあって Better to be the head of a dog than the tail of a lion. 以外にも蟻とライオンの組み合わせで大小の違いを強調するものやロバと馬のように敢えてちょっと近い二者を並べるものもある。イタリア語では猫対ライオンとなかなかロジカルだ。そこで a roosterとan ox で代替しても全く問題なく通じるわけだ。

「一寸の虫にも五分の魂」には Even a worm will turn. という、芋虫・ミミズの類でも踏まれれば怒って反撃に出ると言うぴったりの成句があるのだが、私がそれを使ったのを聞いていた後輩が「そっちの虫だったんですね」と言い出したことがある。何となく蠅とかテントウムシとか脚のある方 insects を想像していたらしい。でもね、一寸は3センチくらいだから昆虫だとするとカブトムシやクワガタの雌とかスズメバチ、ゴキブリ……、まで来たあたりで言い出しっぺが悲鳴を上げた。初めてその大きさに思い至って急に気持ちが悪くなったらしい。一寸の昆虫はけっこうでかい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年2月号掲載)