要求する猫

朝早く猫の叫び声がする。時刻は多分5時くらい。目を覚ましたタラが大声で叫んでいるのだ。「な~~お~~!」なかなかの肺活量で感心する。

お腹を空かせているわけではない。女王様体質のタラは自分が目を覚ましているのに下々のものがまだ寝ているのがおもしろくない。家族みんなを起こして、あわよくば、ぐりぐりになでて欲しくて叫ぶ。こっちもそうそう猫の言いなりにはなっていられないので放っておいて二度寝を決め込む。猫はひとしきり鳴くと静かになるが二度寝をしているわけではない。寝室のドアの前で張り込んでいるのだ。

しばらくして起きた飼い主がドアを開けると、タラはぱっと立ち上がり、再びさっきと同じように叫ぶ。女王様はその辺の下っ端猫と違って、飼い主の脚にまとわりついてこびを売るようなことはしない。ドアと壁の角のところでしなを作り優雅にしっぽをゆらしながら、しもべの顔を見据えて厳かに命じるのだ。「さあ、おなでなちゃい!」

仕事のある日は丁重にお引き取り願うしかないが、休みの日は出来るだけ御意に沿うようにしている。猫は皆愛されるために生まれてくるのだし、我が家の2匹も可愛がられるために飼われているのだ。

寝室の前の廊下では落ち着きが悪いのでソファのあるリビングに移動しようと歩き出すと、タラはいそいそとついて来る。本当はお腹を空かせていたりすると可哀想なので台所を通って餌場に向かうふりをしてみても「そっちじゃない」と途中で座り込む。餌ではないと確認が出来たところでひょいとすくい上げると「あ~れ~」とばかりに誘拐されるお姫様のようにちょっとだけ抵抗してみせるのがお約束。かまわずソファに座って膝の上に仰向けにして、白いお腹を「の」の字を書くようにマッサージしてやるとあっというまに盛大にごろごろ言い始める。

元々タラは世の中全て自分の思い通りになると思っているポジティブな猫で、いつでも親猫に駆け寄る子猫よろしくぴんと立ったご機嫌しっぽだし、ご飯の前には「嬉しい嬉しい」の爪とぎをする。少しかまってもらっただけでのどをごろごろならすのが、さらになでられて嬉しくなると「ぐふっぐふっ」になる。興奮してピンクの鼻の赤みがまして、宙ぶらりんになった手がにぎにぎをするように動く。そのうち上半身だけぐいっとひねって向きを変えると、タラは私の脇腹でふみふみを始める。

この女王様の赤ちゃんがえりはここ1年ほどの現象で、最初はちょっとびっくりした。一緒に生まれた子猫たちの間でもお姉ちゃん格だったタラは、ふみふみの必要がないくらい良く出るおっぱいを自分のものにしていたらしく、子供の頃はいっさいしなかったからだ。

10年一緒に暮らした猫でも、時にはこんな驚きをくれる。

猫の指、猫のしっぽ

人間の骨の数は206個前後だそうだが、猫の場合、230個から多い個体では250個もあり、平均は244個。どおりでドーナツよろしく見事に丸くなったり、絞ったぞうきんみたいに体をねじって平気で寝ているはずだ。20個も違うのは主に指としっぽの差だと言う。

指の骨が多いのは「かんじき猫」と言われたりする多指症の猫、ヘミングウェイの猫とも呼ばれる。ある船長から譲り受けた前足に指が6本(普通は5本)ある猫を文豪はこよなく愛していた。フロリダ州キーウェストにあるヘミングウェイ博物館には今もその子孫が数多く暮らし、「猫屋敷」状態になっているらしい。日本では雄の三毛猫(大変希少)が船の守り神だったが、欧米ではマストを上る能力に長けネズミをよく捕る6本指の猫を好んで船に乗せたという説がある。ちなみに多指症は優性遺伝なので、親猫が片方でもヘミングウェイ・キャットだと半分以上の確率で子供達もかんじきをはいて生まれてくるわけだ。

しっぽが短かったりお団子みたいだったり、あるいはくきっと曲がっている鍵しっぽだったりするのが尾曲がり猫だ。その割合は日本国内でも地域差が大きいらしい。フィールドワークで長年それを調べている学者さんの話をテレビで見たことがある。海外で人気のジャパニーズ・ボブテイルも尾曲がり猫の一種。日本は家が狭いので猫のしっぽも遠慮をして長く伸びない、という落語のまくらをどこかで聞いた気がするが、長く伸びるのも途中でくるくる巻いてしまってボブテイルになるのも遺伝による先天的なものだ。うちの2匹はすらりとまっすぐな長いしっぽをしていて、どうやらその分、骨の数が多いと言うことらしい。

飼い猫というやつはわざわざ人間の動線上に長々と寝てみたり、台所や洗面所に立つ飼い主のすぐ後ろにこっそり座り込んだり、無防備なことこの上ない。なのに、うっかりそのしっぽを踏んだりしようものなら「いたい~っっ!」とばかりに猛然と抗議されることになる。「だからちゃんとしっぽを巻いて座りなさいって言ってるでしょ!」なんていう飼い主の小言などどこ吹く風だ。結局、なで回したりグルーミングをしたり、餌に削り節をふってやったり、ご機嫌取りをさせられる羽目になるのだから割に合わない。

タラは子供の時から体よりもしっぽが長く、獣医さんから「あらまあ、立派なしっぽ」と感心されるほどだったが、その後しっぽとのバランスを取るかのように胴体の方も長~く伸びてきた。体重は5キロほどだが体長は7キロ超えのポンと変わらない。どうも我が家は猫が巨大化する傾向にあるらしくて困る。

ちなみにキジトラ白のポンのしっぽはくっきりとした輪切り模様が入っているが、タラは体の方ではきれいに分かれている三色が、しっぽではぐしゃぐしゃに混じり合ったパーティー・カラーになっている。

先住猫懐柔大作戦

犬は餌を与えすぎると全部食べてしまってお腹をこわすことがあるので飼い主が気をつけてやる必要があるが、猫は満腹中枢があるので自分で食べる量をコントロールすることが出来る。そこで、カリカリと呼ばれるドライフードになれている猫なら、2泊くらいはお留守番をすることが可能だ。

ポンも時々お留守番をさせられていたが、やはり1匹では寂しいだろうともう1匹もらうことにした。ポンはキジトラ白なので次は三毛猫が欲しいと思っていたら獣医さんのところに張り紙が出た。子猫が4匹生まれて飼い猫が10匹を超えてしまったので、引き取り手を探しているらしい。3匹は茶トラだったが1匹が念願の三毛だったのでさっそく連絡を取ってもらいに行った。それがタラだ。

新しい猫を家族に加える時一番心配なのが先住猫との相性だ。室内飼いのポンは里親探しの時以来、他の猫とはあまり交流がないまま4歳半になっていた。ただおっとりした性格なのでそれほど心配もないとは思っていた。東京近郊の町で小さな一戸建てに住んでいた頃、どこかの猫がいきなり家の中に入り込んできた事があったのだが、どう対応して良いか分からずに立ちすくむような猫だったからだ。もう少ししっかり自分のテリトリーを守れ、と飼い主からハッパをかけられ、「え~、でも・・・」と尻込みするような草食系男子だ。(いや、猫はどう転んでも肉食だから、と言うつっこみは聞こえないことにする。)

初めてタラを見たポンはやっぱりまず固まった。いきなり目の前に現れてにゃーにゃー鳴いている小さいものが何なのか分からずパニックしている。タラがかまわず近づいていくとようやく我に返ったように「シャー!」っと威嚇したが、人間から見てもなんだか腰が引けていて迫力に欠ける。一応礼儀を通そうと引き下がったタラだが、さすがに大家族の家に生まれた猫だ、大人猫は見慣れていて怖くもない。子猫だからかまって欲しいし遊んで欲しいし可愛がって欲しい、そんな気持ち一直線で、ありとあらゆるアプローチを始めた。

正面から行って威嚇されたら後ろから飛びかかってみる。びっくりして瓶洗いブラシのようにふくらませたポンのしっぽにじゃれてみる。うるさそうに逃げ出そうとするポンのお腹の下を猛スピードで通り抜けてみる・・・。丸一日見ていても飽きないだろうと思う多彩な攻撃だったが、こちらも仕事がある。後ろ髪を引かれる思いで猫猫大騒動の現場を後にしたものだ。

わずか二日後、ピラミッド型をした小さな猫用テントの中で、2匹の猫ははぴったり並んで香箱を作っていた。タラはあっという間にみごとにポンを攻略したのである。

(香箱を作る:猫用語で両手を織り込んで座り、ティッシュの箱に頭としっぽがついたような体勢を取ること。安心・リラックスの姿勢。)

猫の学習

犬と違って猫はトイレ以外しつけられないと思われているようだが、実はそんなことはない。うちのおじいちゃんと熟女のペアは食卓には決して飛び乗らないし、家具や壁で爪を研ぐこともない。私の配偶者がみごとにしつけた成果だ。

猫は生まれてから6ヶ月の間に、親猫から生きていくためのすべを学ぶ。つまり、しつけをするのもその期間がキモなのだ。本能は押し殺すことが出来ないから麻縄を巻いたキャットタワーを準備したり、段ボール製爪とぎをあちこちに用意して、爪を研ぎたそうにしていたらすかさず連れて行って「爪とぎはここ」と教える。飛び上がっても良い場所にあがった時は放っておくが、いけない場所にあがったらそのたび根気よくおろす。嫌な思いをすると近づかなくなるので、荷造り用テープの粘着面を上にしてテーブルの縁に貼っておくのも効果的だった。

ポンはある店のペット用品売り場で行われていた里親探しでもらってきた猫だ。同じ頃に生まれた7~8匹の子猫と一緒に大きなケージに入れられていたのだが、あきらかに周りの子猫たちより小さく、自分より一回り大きな子猫に威嚇されて隅っこでさらに小さくなっていた。最初のワクチン接種に連れていった獣医さんも誕生日を聞いて首を傾げ「さばを読まれているかもしれませんね」と言ったほどだ。後に、もらった時に告げられた誕生日からちょうど半年で乳歯が抜け始めて実は正しかったことが分かるのだが、ポンはそれほど小さかったのだ。その後いろいろお世話になった良い獣医さんだったが「まあ、あまり大きくはならないでしょう」は大はずれだった。

猫は食事の催促をする時、飼い主の足にこつんと頭突きをする。母猫のおっぱいをずんずんとつくと刺激でミルクが出る、そのなごりだ。一緒に生まれた兄弟達との競争に勝てず、一番出の悪いおっぱいをあてがわれたからだろう、ポンの頭突きはものすごく強い。小さな頭を一生懸命押しつけなければ、なかなかミルクが出なかったのに違いない。すっかり体が大きくなってからも、思い切り体重を預けながら来るものだから飼い主には「膝かっくん」をされたくらいの衝撃がある。

母猫のおっぱいにむしゃぶりついた子猫はのどをごろごろ言わせながら両手をふみふみすることを覚える。そうすることでミルクの出が良くなるからだ。ポンはふみふみもしないしごろごろも下手だった。どうやらそれどころではなかったのだろうと、私は想像している。ついでに言えば猫草を食べることも含めて、どうやらポンは本来子猫が最初に教わる多くのことを覚えないまま里子に出されたふしがあるのだ。高いところに上がった猫の勝ち、と言う基本的なルールもその一つ。

ただ親元で一生暮らせない子猫たちはだいたい3ヶ月くらいで里親のもとにもらわれて行くので、元々6ヶ月かけて覚えることを全て身につけているとは期待できないのも事実。今回はポンのことばかり書いたが、タラにも明らかに猫として正しいとは思えないところがある。その話はまたそのうち・・・。

老いらくの恋?

うちの猫は15歳のおじいちゃんと10歳の熟女のペア。熟女のタラは子供の時に、ストルバイトという砂が出来やすい体質であることが分かって以来、ずっとpHコントロール食だったが、おじいちゃんのポンの方は日本猫にはあるまじき8キロという巨漢に育ってしまった以外は、いたって健康だった。

ところが1年半ほど前、ちょうど13歳になったばかりの頃、急に体重が減ったことに気づき検査をしてみたところ、残念ながら腎臓を悪くしていることが分かった。それからずっと朝晩薬を飲ませ、夜には200CCの生理食塩水を皮下輸液する毎日。腎臓が機能しないと飲んだ水が全部おしっこになって体の外に出てしまうので、脱水症状を起こさないよう、人間だったら点滴をするように、猫には皮下に輸液をしてじわじわと体内に吸収させるのだ。

母猫が子猫をくわえる首の皮のところをつまむと猫はおとなしくなる。テントのように引っ張り上げて細い注射針をぷすり。その瞬間ぴくりとされたり「にゃ!(いた!)」と抗議されると気が引けるが、うまくいった時にはほとんど気がつかないらしい。血管に点滴するのと違って、猫の場合たっぷり余裕のある皮膚と筋肉との間に流し込むので10分もあれば終了。ポンはそれほど我が強くないので比較的おとなしくされるがままになっているが、150CCくらい入ったところでむずかりだす癖があり、我が家ではこれを「150CCセンサー始動」と呼んでいる。

終了後しばらく針のあとを押さえるのだが、それでも時々液が漏れだすことがある。気にして背中を舐めようとするので薄いタオルを巻いて首のところでしばってしまう。「ポン君、正義の味方のマントだよ、かっこいいね」となだめるが、本人(猫)はいたって不本意な顔をしている。黒とピンクのマントを用意しているのだが、特にピンクに納得がいかないらしい。猫の目に見える色は限られているのだが、ピンクはどうやら「イケてない色」に分類されているようだ。

飼い主が毎日頑張っているのも少しは功を奏しているのだろう、少々足腰が弱ってきているが15歳のおじいちゃんは結構元気だ。子供の頃に去勢しているのだが本能はなくならない。もともとタラとは仲が良いのでしょっちゅういちゃいちゃしているのだが、そのうちにポンがむらむらすることがあるらしく、迫り方がしつこくなると「しゃ~っ!」と威嚇されたり猫パンチを繰り出されたり、時には噛まれたりしている。

それでもポンはめげない。基本、タラが大好きなのだ。とうとうタラが逃げ出すと、負けないスピードで追いかけていく。まるで子猫時代のような猫の運動会が始まる。家の中を何度か回遊して面倒くさくなったタラは椅子や出窓などの高いところに飛び上がる。猫の社会では高いところにいるものが強いので、これで終了かと思いきや、ポンはかまわずさらに追いかけたり迫ったりする。ある意味掟破り。どうやら赤ん坊時代にその根っこがあるらしい・・・と私が感じている理由は、また次回。